昭和の初期までは、この峠道が篠山市に行く最短の街道でした。
また、江戸時代の西国三十三カ寺参りが、盛んだったころには、大阪から宮津の成相寺~
舞鶴の松尾寺に巡る巡礼街道でした。
また、丹波立杭焼きの瓶を運ぶ重要な馬車道が、整備された峠道でもありました。
今は、当時の往来があるわけでもないのですが、照葉樹林の散策道として
また、トレッキングロードとして整備しています。
途中の見晴台からは、遠く福知山大江町の大江山が、見えて
その向こう側は、宮津の天橋立(27番札所成相寺)が
あると思うと歴史ロマンを感じます。
今回縁があり、峠道の整備活動(道案内看板設置)や松くい虫にやられた
松の木の伐採作業等、参加させてもらっています。