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切り抜き詳細

発行日時
2012-10-22 9:05
見出し
夫と交わした歌を本に 昆虫研究者・山本義丸さんの妻
リンクURL
http://tanba.jp/modules/topics/index.php?page=article&storyid=6048 夫と交わした歌を本に 昆虫研究者・山本義丸さんの妻への外部リンク
記事詳細
 丹波地域の自然研究に大きな功績を残した山本義丸さんの妻、 節代さん (87) =池田市=が、 義丸さんの思い出などをつづったエッセイや、 義丸さんと交換した短歌を収録した本を出した。 「生物の教師であり、 昆虫の研究者であった夫は、 無口な方で、 余り感情を表わす人ではなかった」 (同書から) が、 2人の情愛がしっとりとにじみ出る内容になっている。  節代さんは尼崎市の生まれ。 1947年、 柏原町の崇広小学校で助教師になり、 当時、 柏原高校教諭だった義丸さんの柏原町下小倉の実家近くに下宿した。 同書によると、 ときどき道で出会い、 言葉を交わす程度だったが、 ある日、 義丸さんから 「結婚を前提につきあってください」 と告白され、 翌年、 結婚した。  義丸さんは、 丹波の自然についての研究論文を多く発表。 57年から大阪教育大学付属池田高校で教べんを執った。 2001年に79歳で死去する前年、 国内で採集したガの標本1万2000点を県立人と自然の博物館に寄贈。 図鑑なども出した。  2人は交際を始めた頃から3年間、 紙片に歌をつづり、 交換した。 「虫などを好みたまへる君にして言葉少なにゆかしかりける」 (節代さん)、 「恩師みなこの結婚をほめたまふ わが面目は妻のたまもの」 (義丸さん)。 義丸さんは、 2人が交わした歌を巻紙に書き写して整理。 節代さんは、 婚約のときに義丸さんからもらった朱塗りの文箱に巻紙をしまい、 保管していた。 同書には、 2人の340首を収録した。  エッセイでは、 義丸さんの最期の様子もつづった。 がんの痛みにうめき声をあげる義丸さんのそばで涙を流す節代さんに、 義丸さんは節代さんの手を取り、 「元気出せよ」 と励ました。 義丸さんが息を引き取ったとき、 節代さんは義丸さんの耳元で 「お父さん、 ありがとう。 節代は幸せでした」 とささやいた、 などの思い出を書いた。  節代さんは 「この本は、 私が生きてきた証し。 抱きしめて死にたいと思うほどで、 本にしてよかったと思います」 と話していた。  問い合わせは、 山本節代さん (072・753・2775)。