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切り抜き詳細

発行日時
2012-8-2 13:30
見出し
生誕100年に遺品展示 俳人・片山桃史
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記事詳細
  「千人針はづして母よ湯が熱き」 などの句を残し、 戦争俳句の作者として知られる片山桃史 (本名・隆雄) の遺品展が7月28日、 ふるさとの丹波市春日町黒井の上ゲ町公民館で開かれた。 今年は桃史生誕100年の節目にも当たり、 上ゲ町自治会の文化祭の一つとして初めて遺品展を催した。 自治会長の吉住孝信さんは 「ふるさとの生んだすぐれた俳人を見直す機会になった」 と話していた。  遺品展では、 桃史が戦地から実家に送った軍事郵便などのはがき、 銀行員時代や出征中の写真、 出征時に上ゲ町から贈られた 「祝出征」 ののぼり、 三省堂から出した句集 「北方兵団」 などを展示した。  はがきには、 「当地にはまだ敗残兵が出没するので、 時々討伐に出ます。 弾にも慣れました」 「父上も余り御無理をされぬよう元気でいてください。 小生の貯金は自由にご使用ください」 「 (ヘイタイサンハ) ツチノウエデモ アメノナカデモ ヨクネムリマス」 などとあり、 戦地の様子や家族への思いを伝えている。  地元老人会の 「のじぎくクラブ」 が郷土史家の村上完二さん (春日町黒井) から聞いた桃史の略歴や俳句についてまとめた模造紙も展示。 「死の近き顔と思いぬ死ぬもよし」 「戦病死せるを葬るや風吹く日」 などの句を紹介し、 「戦場という生と死が交錯する厳しい中に身を置きながら、 人間としての温かさを失わずに作られた桃史の句は多くの人々に感動を与えた」 などと説明した。  吉住自治会長は 「地元に住んでいながら、 桃史について知らない人は少なくない。 この遺品展を機に、 桃史について語り継ぎ、 顕彰していかなければと思う。 俳句のサークルをつくるのも、 いいかも」 と話していた。  文化祭ではこのほか、 子どもを含めた住民らが作った絵画、 手芸などの作品も展示した。  【片山桃史(かたやま・とうし)】大正元年 (1912) 生まれ。 旧制柏原中時代から俳句を作り始め、 卒業後、 大阪の銀行に就職。 昭和10年 (1935)、 新興俳句の雑誌 「旗艦」 に加わる。 25歳で出征。 中国の戦場から手紙で 「旗艦」 に俳句や評論を送り、 帰国後、 「北方兵団」 を発表。 昭和16年、 再び出征し、 同19年、 31歳の時、 ニューギニアで死去。