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切り抜き詳細

発行日時
2012-5-13 8:58
見出し
あのとき東北で・これから丹波で/Ⅵ.商工・観光 ―宮城県牡鹿郡女川町―
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記事詳細
「復興の歩み自体が資源」  東日本大震災の発生から1年2カ月。 東北の沿岸部を歩くと、 がれきが覆ったまちはさら地になり、 ひとまずの復旧は進んだように見える。 灰色の砂利だけになった場所には、 住居のほかに商店も軒を連ねた。 海産物を中心に活気に満ちた店は、 多くの観光客を呼んだ。 しかし、 津波にのまれた漁船は数知れず、 観光資源の中核をなした漁業の復興は遠い。 被災地の商工・観光は今、 どのようになっているのか。 日本有数のサンマの水揚げ地として栄えた宮城県牡鹿郡女川町で取材を行った。 (森田靖久) ◇消えた70万人  三陸地方特有の入り組んだリアス式海岸が天然の良港をつくり出し、 サンマのほか、 ホタテやギンザケの養殖など漁業で栄えた女川町。 同町観光協会によると、 震災までは9月のサンマ収穫祭をはじめ、 アンコウやシラスなど、 毎月、 旬の魚をテーマにさまざまな祭りを催し、 年間約70万人の観光客数を誇った。  1994年にオープンした観光物産施設 「マリンパル女川」 を中心にした商店には人の列ができた。 飲食店ではサンマを使った丼やラーメン、 パスタなどのご当地グルメが好評を博す。 漁業を核にした商工と観光がまちに潤いをもたらしていた。   「震災が起こるまでは、 新鮮な魚を求めてたくさんの人が訪れてくれた。 イベントの時には県内はもちろん、 県外からも車が列をなしてきたよ」  日焼けした地元の漁師さんが懐かしむような表情で話してくれた。   「今はもう観光で来る人なんていねぇんじゃないか。 船も、 獲ってきた魚を売る店もなくなっちまったし」  震災を受け、 漁船も養殖のいかだも流され、 漁業は壊滅的な大打撃を受けた。 まちにあった約170店の商店も消えた。 観光資源と言えるものはすべて灰燼 (かいじん) に帰し、 まちを活気付けていた全てが失われた。 ◇ゼロからの出発   「漁業も商店もなくなり、 観光としてはゼロからのスタートとなってしまったが、 前に進んでいくしかない」。 事務所も津波にのまれ、 職員2人が帰らぬ人となった同町観光協会事務局長の三浦幸治さんは言う。  震災後、 観光客という言葉を聞かなくなった。 一方で最近は月に15回ほど、 「震災を学びたい」 というバスツアーがまちを訪れるようになった。 そのたび、 三浦さんらが被害状況や体験談などを話している。   「本来の観光ではないけれど、 いつか観光につながっていくのでは」 と期待する三浦さん。 再開した商店を掲載した冊子をつくるなど、 「復興へ向けた歩み自体が新たな観光資源」 と語り、 「宿や食事の提供など、 お客さんを受け入れる態勢を早く整備して、 以前のように活気のある港町になるようにがんばりたい」 と前を向く。 ◇きぼうのかね  カランカラン―。 女川高校のグラウンドに澄んだ鐘の音が響き渡った。 4月29日、 立ち並ぶ平屋のプレハブに約50店舗が入居した仮設商店街 「きぼうのかね商店街」 がオープン。 同町で営業していた飲食店や衣料品店、 青果店など、 さまざまな業種の店がそろった。  観光協会も入居し、 篠山市の支援者が作成した看板が設置された。  女川町商工会では昨年6月から仮設商店街の計画を立ち上げており、 支援に名乗りを上げたイギリスやアメリカの団体・企業、 中小企業基盤整備機構が店舗を構えた。  名前の由来はJR女川駅前に設置されていた鐘。 津波で流されたが、 一つだけ音の鳴る状態で見つかった鐘を商店街のシンボルとして設置した。  魚の水揚げも少しずつではあるが始まっている。 みんなが在りし日の女川を取り戻すために 「がんばっぺ」 を合言葉に動き出した。 この仮設商店街も新たな観光資源として活用されていく。  同町商工会の高橋正典会長は、 「さまざまな方の支援でやっとスタートラインに立てた。 復活した新しいまちの姿を見てもらうことが、 恩返しになる」 と決意。 商店街にはさっそく住民らが買い物に訪れていた。    ◆    ◆  漁業と農業という違いはあれど、 「食」 が観光資源になり、 商工業にも結びついているという点で、 丹波地域と酷似する点は多い。  津波はないにしても、 地震による田畑や商店への打撃、 福井県の大飯原発で事故が起きた場合の放射能被害を考えたとき、 女川町と同様、 ゼロからの再出発を考えざるを得ない。 女川町が一歩を踏み出すことができたのは、 再出発を考えられる人的資源と、 外部からの支援を受け入れる態勢整備だ。  さまざまな場面で被災地から学ぶべきことは多い。