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2012年6月9日16:11
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朝読書会 in TAMBA
丹波市立中央図書館 (丹波市氷上町常楽) で月に1回開いている。 5月の例会で、 23回目になった。 中川広佳さん (丹波市柏原町) が一作年、 数人の友人と始めた。
現在は10数人が参加。 中、 高校生から70歳までと年齢の幅も広い。 参加者が好きな本を持ち寄り、 内容や読んだ感想などを発表している。 発表に対し、 意見交換しているが、 「他人の発表内容を批判しない」 といったルールを決めている。 毎回、 活発な発言が飛び交う。
中川代表は、 「本を通して仲間づくりができれば」 と期待。 高校生の桑村紗也加さん (同市氷上町) は、 「自分の読むジャンルと違う本に出合えて、 楽しい」 と話している。
【問い合わせ先】
代表 中川広佳さん 090・1958・4902 Eメール astpray_9@hotmail.com
◆活動日=毎月1回日曜日の午前10時―正午◆活動場所=丹波市立中央図書館 (丹波市氷上町常楽) ◆対象=一般 (未成年は保護者の許可が必要) ◆参加費=無料、 事前の予約不要
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2012年6月7日09:21
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看護人材掘り起こす 復職に研修機会提供
丹波圏域の病院の看護部長、 訪問看護ステーションの管理者らでつくる丹波圏域看護業務連絡会 (会長=山口恵美・大塚病院看護部長) が、 社会問題化する看護師不足問題に取り組もうと、 「看護職のための再就職支援研修会」 を始めた。 官民の区別なく、 「丹波医療圏で働く看護師を増やす」 ことを目指している。
結婚、 出産、 転居、 体調不良など、 資格を持ちながらも、 看護の現場から離れている人たちの復職を、 当番病院を決めてサポートする。
6月が県立柏原、 8月が岡本、 10月が大塚、 12月が柏原赤十字、 3月がささやま医療センター。 研修参加費は無料。 丹波、 篠山両市の看護情報を提供し、 研修機会を提供する。 採血、 点滴、 吸引、 経管栄養などを想定しているが、 病院側で研修計画を立てることはせず、 本人の希望に応じた個別対応の中身とする。 受け入れも希望者の都合のつく時間、 曜日とする。
また、 各施設の紹介を記載したパネルを作成し、 PR活動も予定。 24日に篠山市民センターで開かれる 「医療フォーラム」 で初の活動を行う。
山口会長は、 「准看学校に続いて、 県立柏原看護専門学校も閉まる。 養成機関も専門性を発揮できる病院も都市部に多く、 若い人はいなかに来てくれず、 人材確保が難しい。 一度は都市部に出た人のUターンや、 こちらに嫁いできて看護職に就いていない人、 子育てで休んでいたが手が離れた、 というような人を1人でも掘り起こしたい」 と話す。
同会は9年前に発足。 看護の質の向上のための研修会などを開いていたが、 全国的な看護師の 「争奪戦」 があり、 丹波地域の各病院も人手不足にあえいでいる所に柏原看専の閉校も重なり、 同会でこの問題に取り組むことにした。
個々の病院が努力しているものの、 ▽新卒の多くは都市部で就職する▽転職支援派遣会社に登録しているが、 就職に至る人が少ない▽就職しても短期間で辞める▽阪神間で開かれる就職合同説明会に参加しても素通りされる―などの共通した悩みを抱えており、 「丹波で働く看護師を増やさなければ地域医療の維持が困難」 と一致した。
各医療機関が国に届け出る 「業務従事者届け」 によると、 2010年12月末時点の丹波医療圏の人口10万対看護師数 (保健師、 助産師、 看護師、 准看護師、 医療機関だけでなく、 福祉施設での勤務者も含む。 常勤換算) は、 1063人。 県平均の1023人を上回っている。 10万対看護師数が少ないのは、 阪神南圏域 (西宮市や芦屋市) の877人など、 県南部の人口集中地域。 多いのが、 淡路圏域の1220人や但馬の1123人。
県医務課看護指導係では、 医療圏をあげた看護師確保の取り組みは、 珍しいと言い、 「人口や面積、 医療機関の数が違っており、 県平均を上回っているからと言って、 丹波の看護師数が多いとは一概に言えない。 都市部の不足感は離職率の高さ、 いなかでは、 そもそも人が来ないというあたりにあり、 不足という言葉の捉え方、 切実感も違うだろう」 と話している。
研修の問い合わせは各病院の看護部長か、 事務局の丹波健康福祉事務所地域保健課 (0795・72・0500)。
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2012年6月3日09:27
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福島支援に“ネット形成” 丹波地域の8...
東日本大震災による福島第一原子力発電所事故の放射能被害に苦しむ人々への支援や、 放射能について学ぶ機会をつくることを目的に、 丹波地域の8団体が 「放射能から子どもを守る丹波ネットワーク」 を結成した。 今後、 福島県などに住む親子を招いた保養キャンプの支援や、 福島の現状、 放射能の恐ろしさを学ぶ講演会などを企画。 約1000キロ離れた被災地へ、 「丹波にいながらできる支援」 を展開していく考えだ。
ネットワークを構成している団体は、 ▽新しい風プロジェクト (篠山市) ▽NPO法人・風和 (同) ▽ピースたんば (丹波市) ▽3・11を憶念する会 (同) ▽つなぎ村こどもプロジェクト (篠山市) ▽NPO法人・バイオマスフォーラムたんば (丹波市) ▽どろんこキャラバン☆たんば (同) ▽丹波篠山避難移住者ネットワーク (両市)。 各団体とも、 これまでに保養キャンプや講演会の実施など、 震災に関連した事業に取り組んでいる。
計画では、 7月1日に福島の現状を知る講演会を開催。 8月には、 丹波地域へ避難している人と交流を持つ会を、 11月には内部被ばくと保養での効果について学ぶ講演会を開く。 来年2月には、 活動の集大成としてフォーラムを行う。
ネットワーク内で連携することで、 丹波市と篠山市をつなぎ、 市民にも理解と協力を広めたい考え。 行政などとの連携も進めていく。
特定非営利活動法人 「ジャパンプラットフォーム」 から助成を受けた。
また、 関西全域の各種団体で形成する 「関西保養ネット」 や、 その上位団体 「全国保養ネット」 とも連携。 両ネットを通して被災地と直接つながりを持つことで、 より被災者のニーズに沿い、 実効力のある取り組みが展開できるようにした。
高橋実行委員長は、 「阪神淡路大震災でさえ、 時がたつにつれて風化してきているが、 将来に渡ってずっと伝えていかなければならないこと。 ネットワークで横のつながりを広め、 丹波地域の人への情報発信はもちろん、 被災地への息の長い支援に取り組めれば」 と話している。
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2012年6月3日09:27
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被災地に本届ける 丹波JC
東日本大震災の被災地に本を届ける運動に協力し、 丹波青年会議所の会員たちがそれぞれの推薦する本11冊を提供した。
日本青年会議所近畿地区協議会の運動に応えたもの。 本は、 「龍馬の言葉」 「無意識はいつも君に語りかける」 「一瞬で運をつかむ魔法の言葉」 などで、 メッセージを書いたラミネート加工のしおりも作成。 「笑顔になりますように」 「いくつになっても夢を大切に」 などと書いた。
同会議所専務理事の浅葉喜一さんは 「私たちも、 たとえ微力でも復興支援にかかわりたいと考えていたので、 喜んで協力させてもらいました」 と話していた。
近畿管内の青年会議所から寄せられた本は、 車に積み、 6月から宮城県内の仮設住宅や小学校などを回って読んでもらう。
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2012年6月3日09:23
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丹波市大会を制すトライアスリート 澤瀉...
グリーンベル青垣を発着点に行われた 「丹波市ファインキッズトライアスロン大会」 の一般・40歳以下男子の部で優勝した。 今春、 大阪体育大学を卒業し、 丹波市内の企業に就職。 出勤前、 退社後にトレーニングに励んでいる。
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「大学ではトライアスロン部の主将を務め、 2回生の時に大阪国際トライアスロン大会の一般の部で優勝した。 日本選手権出場を目指していたが、 故障で3回生の1年間を棒に振り、 4回生でも結果を残せなかった。 社会人での活躍を誓い、 去年の冬から今年の春にかけてバイクの強化に努め、 今回地元の大会で優勝ができた」
「23歳以下のアジア選手権日本代表や、 県内の強豪が出場していたけれど、 普通にやれば勝てる自信はあった。 ランで右足がつり、 つらかったけれど、 ここで負ける訳にはいかなかった。 優勝はできたものの、 去年の優勝者より遅く、 反省もある。 ランの強化が課題」
「練習は、 週5―6日。 朝は5時半ぐらいからランとバイクを交互にやる。 例えばランなら1キロを7本、 バイクなら30―35キロという具合。 夜はプールに通い、 4000―6000メートル泳ぐ。 スイミングクラブの選手コースや日本で上位のレーサーがいる実業団バイクチームに交ぜてもらえた大学時代と違い、 1人でやらないといけない。 『人と競る』 練習が絶対に必要で、 休日には、 強い相手を求め、 京都や大阪に出かけている」
「今年は、 国体出場が目標。 7月8日の大阪、 舞洲のアジアカップで好成績を残せば、 道が開ける。 将来はワールドカップに出たい。 20歳代後半が選手のピーク。 練習に励みたい」
○
柏原高校時代、 平泳ぎで県3位。 水泳が得意だからと、 軽い気持ちで始めた競技。 初めて出たこの大会で惨敗、 真剣に取り組もうと決意した。 練習環境に恵まれない丹波で上を目指すには、 大学時代以上のハングリーさが必要だ。 丹波市柏原町柏原。 22歳。
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2012年6月3日09:16
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第288問
メジャーデビューを果たした丹波市出身のシンガーソングライター、 小南泰葉さん。 所属レコード会社はどこ?
1.EMIジャパン
2.キングレコード
3.エイベックス
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2012年6月3日09:11
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「手作りケーキの店アリス」
篠山市住吉台の本店の2号店として大江康児さん (28) が、 今年3月にオープン。 篠山産業高校東雲校卒業後、 県立農業大学校でイチゴケーキに向くイチゴ栽培の勉強をして卒業。 ケーキ作りや調理、 接客などの修業を積み、 念願の店を持った。
丹波篠山大内農場の黒豆を使った甘さ控えめの 「丹波黒豆プリン」 や、 口の中でとろける 「アリスちゃんのとろ~りプリン」 が人気。 ケーキ類は、 シフォンケーキが180円からとお得。 似顔絵やキャラクターのデコレーションケーキは誕生日用に喜ばれている。 ランチは 「本日のランチ」、 「パスタ」 が2品、 「カレー」 が2品の計5品に、 ドリンク、 サラダ、 ケーキ、 スープ、 小鉢、 ごはんのバイキング付きで1050円。 土日祝日のモーニングも500円とお得。
【メモ】丹南篠山口IC近くの 「すき家」 の東側。 6月9日から土日祝日限定でディナーバイキング (約20種類、 大人1280円、 小学生1050円)。 水曜休。 電079・594・4488。
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2012年5月31日11:35
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金川敬三氏訃報
金川敬三氏 (かながわ・けいぞう=元氷上郡酪農農業協同組合長) 28日午前0時11分、 多臓器不全のため丹波市内の病院で死去、 85歳。 自宅は丹波市春日町山田282ノ2。 葬儀は30日、 おこなわれた。 喪主は長男、 三代治 (みよじ) 氏。
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2012年5月31日11:35
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亀井一夫氏訃報
亀井一夫氏 (かめい・かずお=亀井敏数元柏原町助役の父) 28日死去、 94歳。 自宅は丹波市柏原町南多田570ノ2。 葬儀は29日行われた。
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2012年5月27日08:59
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植物学の権威が自伝 「人博」館長の岩槻...
丹波市出身で、 県立人と自然の博物館長の岩槻邦男さん (77) =横浜市=が、 『生命のつながりをたずねる旅』 と題した自伝をミネルヴァ書房から発行した。 シダ類の研究を基盤に生物多様性や自然環境保全について積極的に問題提起し、 博物館などを通して生涯学習支援にたずさわっている岩槻さん。 同書では、 シダ植物の魅力にめざめ、 植物研究に没頭した経緯などに触れている。
柏原町柏原生まれ。 崇広小6年のときに市島町喜多に転居した。 鴨庄小、 鴨庄中、 柏原高校、 京都大学を卒業。 京都大学理学部教授、 東京大学理学部附属植物園教授などを経て、 2003年から同博物館館長を務めている。 日本学士院エジンバラ公賞などを受賞、 文化功労者にも選ばれた。
同書によると、 子どものころ、 岩槻さんは母に連れられ、 柏原川の堤などでよく野草摘みをした。 ツクシ摘みもその一つで、 摘んだツクシはその夜のおかずになったが、 たくさん摘んでも、 煮ると、 わずかの量にしかならない。 「電信柱のような大きなツクシがあれば」 と思ったが、 大学に進んで、 ツクシの祖先は中生代には20メートルを超える大木で、 恐竜のえさになっていたことを知った。
鴨庄中学校では、 新聞部と理科部を創部。 理科の教諭から 「植物にくわしい人はシダの勉強をする」 と言われ、 シダを勉強した。 柏原高校では生物班に入り、 生物班の機関紙に 「氷上郡の羊歯植物」 などを掲載した。
02年の秋、 同博物館の前館長、 河合雅雄さんから 「体に2つもがんを持っている」 と打ち明けられ、 館長を引き継ぐよう頼まれた。 館長就任時は 「ショートリリーフ」 のつもりだったが、 博物館の活動にはまりこんでしまったといい、 岩槻さんは、 同書で 「現在のわたしの目前の関心事は生涯学習支援について、 日本でもさらなる展開があり、 市民の科学的思考力が高まることである。 博物館での活動はその展開のひとつ」 と書いている。
定価3000円 (税別)。
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2012年5月27日08:59
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第287問
東日本大震災の被災地を応援する 「消防士リレー」 に丹波地域の消防士も参加しました。 リレーの最終目的地は宮城県のどこ?
1.南三陸町
2.気仙沼市
3.石巻市
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2012年5月26日18:00
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メガネ・時計・宝石・補聴器「株式会社ウ...
ぴったりの商品提案
柏原市街地で創業78年を迎える老舗。 メガネ・宝石・時計などを扱う。
店内には常時500本のメガネが並ぶ。 「お客様の声を聞き、 数ある中から、 その人にぴったりの商品を提案させていただきます」 と、 3代目の植木隆好店長。
それぞれにデザインや機能性が違うフレームと、 ドライブやゴルフ、 フィッシングなど、 用途をふまえたレンズを組みあわせてお客様に提案。 常連の中には、 最初から 「選んで」 と頼む人もいる。
5月末までは最大80%引きの決算セール、 6月11日から末までは創業記念祭を開く。 また、 夏に向け、 最新の偏光レンズを用いたものや、 石川遼が愛用するブランドのサングラスなども取り揃えている。
メガネ、 時計、 宝石などの修理も受け付けている。
【メモ】柏原市街地、 柏原駅から太鼓やぐらへ、 伊料理店 「オルモ」 向かい。 午前9時―午後7時。 日曜定休。 電0795・72・0046。丹波市柏原町柏原72
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2012年5月20日09:11
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酒井貞美氏訃報
酒井貞美氏 (さかい・さだよし=玉津柔道教室創設者) 15日午後9時50分ごろ、 老衰のため市内の病院で死去、 91歳。 自宅は篠山市南矢代1179。 葬儀は17日、 おこなわれた。 喪主は長男、 健次 (けんじ) 氏。
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2012年5月20日09:03
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第286問
丹波市の企業 「EGサイクル」 が開発しているペットフードに使っているのは何の肉?
1.クマ
2.シカ
3.イノシシ
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2012年5月20日09:00
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篠山少年少女合唱団
1975年に結成された伝統ある合唱団。 「仲間と歌う喜びを感じる」 ことを目標に、 音楽を通して校区を越えた友だちづくりを進めている。 現在1―5年生9人が所属し、 異年齢間の交流も盛ん。 夏休みと冬休みの合宿でさらに団結力を高める。
毎年2月にたんば田園交響ホールで行うリサイタルに向けた練習が中心。 5月26日に体験会を行う。 入団式は6月9日。 途中入団も可能。
森優希乃さん (城北小5年) は 「先生がおもしろくて毎回楽しみ」、 大上音々 (ねね) さん (味間小5年) は 「個性あるいろんな歌が歌える」、 4月から体験入団中の井関美緒さん (城東小2年) は 「みんなで歌えて楽しい」 と話す。
【入会などの問い合わせ先】
指導者 田村博子さん 079・594・2661
◆活動日=毎週土曜の午後2時―4時◆活動場所=玉水会館 (城北小学校の西向かい) ◆対象=篠山市内の小学生。 性別問わず◆活動費=月4000円 (合宿費含む)
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2012年5月13日09:02
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被災地でのボランティア 継続支援へ今年...
東日本大震災の支援活動を行うため、 篠山市社会福祉協議会 (羽田登喜雄会長) が市の補助を受け、 昨年度に続き今年度も計4回のボランティアバスを派遣することを決めた。 震災から1年以上が経過し、 2年目に入ってもボランティアバスを派遣する市は県内でも数少ない。 がれき撤去などの要望も減り、 支援形態が変わる中、 一般市民だけでなく高校生によるボランティアなども企画し、 現地の状況に即した 「継続的な支援」 を掲げる。
篠山市では、 今年度当初予算で250万円を震災の復興支援費用として計上。 うち市社協が230万円の補助を受け、 ボランティアバスを派遣することなり、 1度の派遣にかかる費用が約60万円となることから、 計4回分の費用となった。
昨年度はがれきの撤去作業などがメーンだったが、 被災地の復旧が進み、 支援の形態は多様化。 市社協では4月末に職員を現地に派遣し、 仮設住宅で生活する子どもたちとふれあう企画や、 漁業、 農業の復旧支援が求められていることなど、 今必要とされていることを調査してきた。
8月に2度、 実施予定の高校生企画は、 市内の高校から参加者を募集。 宮城県石巻市で活動するNPO法人 「石巻復興支援ネットワーク やっぺす石巻」 の代表、 兼子佳恵さんを篠山に招き、 高校生とともに支援プログラムを練った上で現地で活動する。
漁業、 農業支援などを行う一般市民向けのバスは、 6月下旬に1度、 9月の上旬に1度の計2回を予定している。
7日には社協や市職員のほか、 これまで被災地でのボランティアに携わってきた市民らがプロジェクト会議を実施し、 計画を練り上げた。
社協では昨年度、 4月から12月までの計8回にわたって宮城県へバスを派遣。 延べ人数にして市民約220人が参加している。
市社協の向井祥隆事務局長は、 「昨年とはボランティアの形態も変わったが、 まだまだ支援は必要。 現実に即した活動を行っていきたい」 とした。
高校生企画は今月中に参加者を募集。 一般市民向けは実施前に募集を行う予定。
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2012年5月13日08:58
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第285問
鐘ヶ坂トンネルは明治、 昭和、 平成と合計3つありますが、 レンガの損傷が見つかったのはどれ?
1.平成
2.昭和
3.明治
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2012年5月13日08:58
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あのとき東北で・これから丹波で/Ⅵ.商...
「復興の歩み自体が資源」
東日本大震災の発生から1年2カ月。 東北の沿岸部を歩くと、 がれきが覆ったまちはさら地になり、 ひとまずの復旧は進んだように見える。 灰色の砂利だけになった場所には、 住居のほかに商店も軒を連ねた。 海産物を中心に活気に満ちた店は、 多くの観光客を呼んだ。 しかし、 津波にのまれた漁船は数知れず、 観光資源の中核をなした漁業の復興は遠い。 被災地の商工・観光は今、 どのようになっているのか。 日本有数のサンマの水揚げ地として栄えた宮城県牡鹿郡女川町で取材を行った。 (森田靖久)
◇消えた70万人
三陸地方特有の入り組んだリアス式海岸が天然の良港をつくり出し、 サンマのほか、 ホタテやギンザケの養殖など漁業で栄えた女川町。 同町観光協会によると、 震災までは9月のサンマ収穫祭をはじめ、 アンコウやシラスなど、 毎月、 旬の魚をテーマにさまざまな祭りを催し、 年間約70万人の観光客数を誇った。
1994年にオープンした観光物産施設 「マリンパル女川」 を中心にした商店には人の列ができた。 飲食店ではサンマを使った丼やラーメン、 パスタなどのご当地グルメが好評を博す。 漁業を核にした商工と観光がまちに潤いをもたらしていた。
「震災が起こるまでは、 新鮮な魚を求めてたくさんの人が訪れてくれた。 イベントの時には県内はもちろん、 県外からも車が列をなしてきたよ」
日焼けした地元の漁師さんが懐かしむような表情で話してくれた。
「今はもう観光で来る人なんていねぇんじゃないか。 船も、 獲ってきた魚を売る店もなくなっちまったし」
震災を受け、 漁船も養殖のいかだも流され、 漁業は壊滅的な大打撃を受けた。 まちにあった約170店の商店も消えた。 観光資源と言えるものはすべて灰燼 (かいじん) に帰し、 まちを活気付けていた全てが失われた。
◇ゼロからの出発
「漁業も商店もなくなり、 観光としてはゼロからのスタートとなってしまったが、 前に進んでいくしかない」。 事務所も津波にのまれ、 職員2人が帰らぬ人となった同町観光協会事務局長の三浦幸治さんは言う。
震災後、 観光客という言葉を聞かなくなった。 一方で最近は月に15回ほど、 「震災を学びたい」 というバスツアーがまちを訪れるようになった。 そのたび、 三浦さんらが被害状況や体験談などを話している。
「本来の観光ではないけれど、 いつか観光につながっていくのでは」 と期待する三浦さん。 再開した商店を掲載した冊子をつくるなど、 「復興へ向けた歩み自体が新たな観光資源」 と語り、 「宿や食事の提供など、 お客さんを受け入れる態勢を早く整備して、 以前のように活気のある港町になるようにがんばりたい」 と前を向く。
◇きぼうのかね
カランカラン―。 女川高校のグラウンドに澄んだ鐘の音が響き渡った。 4月29日、 立ち並ぶ平屋のプレハブに約50店舗が入居した仮設商店街 「きぼうのかね商店街」 がオープン。 同町で営業していた飲食店や衣料品店、 青果店など、 さまざまな業種の店がそろった。
観光協会も入居し、 篠山市の支援者が作成した看板が設置された。
女川町商工会では昨年6月から仮設商店街の計画を立ち上げており、 支援に名乗りを上げたイギリスやアメリカの団体・企業、 中小企業基盤整備機構が店舗を構えた。
名前の由来はJR女川駅前に設置されていた鐘。 津波で流されたが、 一つだけ音の鳴る状態で見つかった鐘を商店街のシンボルとして設置した。
魚の水揚げも少しずつではあるが始まっている。 みんなが在りし日の女川を取り戻すために 「がんばっぺ」 を合言葉に動き出した。 この仮設商店街も新たな観光資源として活用されていく。
同町商工会の高橋正典会長は、 「さまざまな方の支援でやっとスタートラインに立てた。 復活した新しいまちの姿を見てもらうことが、 恩返しになる」 と決意。 商店街にはさっそく住民らが買い物に訪れていた。
◆ ◆
漁業と農業という違いはあれど、 「食」 が観光資源になり、 商工業にも結びついているという点で、 丹波地域と酷似する点は多い。
津波はないにしても、 地震による田畑や商店への打撃、 福井県の大飯原発で事故が起きた場合の放射能被害を考えたとき、 女川町と同様、 ゼロからの再出発を考えざるを得ない。 女川町が一歩を踏み出すことができたのは、 再出発を考えられる人的資源と、 外部からの支援を受け入れる態勢整備だ。
さまざまな場面で被災地から学ぶべきことは多い。
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2012年5月12日16:41
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ムレスナ社紅茶専門店「ホノラトカティー...
130種のフレーバーティー
スリランカ・ムレスナ社の紅茶を扱う専門店。 フルーツなどのエキスで香りづけたフレーバーティ
ーを130種以上そろえている。 紅茶販売や、 カウンターでは、 ムレスナ社公式レシピのメニューを提供する。
茶葉を牛乳で煮出し、 生クリームをのせた 「コンチネンタル・ロイヤルミルクティー」 (900円) が人気。 ティーバック20杯分以上も茶葉を使うことで、 煮出しを短くし、 渋みや苦みがないミルクティーは、 濃厚でまるで 「飲むケーキ」 のよう。 暑い季節にはアイスティー、 ティーソーダがおすすめ。
ランチ (2100円、 2500円) では各種紅茶が飲み放題。 ゆっくり時間をかけて、 紅茶を楽しむ客が訪れている。
足立真紀店長は 「カフェでは味わえない、 専門店の紅茶を出します。 1度味わってもらえたら」 と話している。
【メモ】丹波市柏原市街地、 石田本通りに面する。 午前11時―午後6時。水・木曜定休。電0795・72・0017。丹波市柏原町柏原145
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2012年5月11日14:35
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足立さつきさんデビュー25周年インタビ...
国内外に多くのファンを持つソプラノ・オペラ歌手、足立さつきさん(丹波市春日町出身)が1987年に「椿姫」でデビュー以来、25周年を迎えた。各地で記念リサイタルを開く一環として7月8日、地元丹波でも丹波の森公苑ホール(丹波市柏原町)で「ふるさとに響く」と銘打って公演する(丹波新聞社など後援)。これまでをふり返っての思い出や、これからの抱負について聞いた。(小田晋作)
足立さつきさんは柏原高、武蔵野音楽大卒、同大学院修了。ミラノに2年間留学。「夕鶴」モスクワ公演ほか様々なオペラに出演し、清冽な声と華のある舞台姿が講評を博している。
丹波の森公苑での公演は7月8日(日)午後2時開演。前売り2000円(当日2500円、全席自由)。チケットは丹波の森公苑(0795-72-2127)、たんば田園交響ホール(079―552-3600)、丹波新聞社(0795-72-0530)で発売中。
-1986年にニッカ椿姫新人賞のコンクールで優勝され、翌年初舞台を踏まれた頃の思い出を。
さつき 「椿姫」は真実の恋に目覚めた娼婦が、最後は恋人に看取られながら死んでいくという悲劇です。主役のヴィオレッタはソプラノの頂点と言っていいくらいの大役で、ぽっと出てきた私がこなすのは大変。指揮者や演出家の言われるまま無我夢中で稽古しました。第1幕の華やかな所、人間的な愛憎を要求される所、悲しさを表現する所と、声の種類もたくさん出さなければならず、ただがむしゃらに向かっていました。
勿論緊張しましたが、だんだん役にのめり込んで、死んでいく場面などは気持ちが良いほどに乗っていましたね。
―それから文字通り脚光を浴びて、環境も激変した。
さつき ちょうどバブル景気のまっただ中で音楽界も非常に活況だったんですね。次々に仕事が舞い込んできて、身体がいくつあっても足りないくらい。疲れている暇もなかったですね。
デビューして3年、30歳にさしかかろうという頃、イタリアへの留学を決意しました。忙しいさ中で、所属していた二期会からも「すごく売れている時になぜ?」と言われたのですが、「今の生活を繰り返していたらエネルギーを蓄積する時を失ってしまう。環境を変えなければ」と思ったんです。2年間、文化庁からミラノに派遣してもらって国費で勉強することになりましたが、学生として自由に研究出来る身分になると、さて何をしたらいいのか、模索が続きましたが、あちこちの劇場を見て回り、世界一流の人たちのステージに触れるうち、「日本人のオペラ歌手として学ぶべきことを学んで帰ればいい」と開き直って、それからは楽しむことが出来ました。この留学が確かな転機になったのは確かです。
―そしてこれまでの間には様々な山や谷があったのでしょうね。
さつき 一番の山は團伊玖磨先生との出会い。「夕鶴」の「つう」の役の打診を受け、楽譜を一音一音拝見しながら、日本語の歌詞で自分を表現できる世界を見つけたようで、まさに日本の女性歌手として演じる意義を感じました。モスクワ、ソウルなどでの公演を通して先生の音楽への思いの深さを知り、貴重な体験になりました。私にとって大きな財産になっています。
谷の方では、2005年頃から3年間ほど体調を崩した時期があります。表向きは何事もないように仕事をこなしていましたが、何だか舞台とかみ合わず、トンネルに入ったようで、なかなか気力がわいてこない。加齢に対する焦りみたいなものもあったかもしれません。長いスランプでしたね。
でも3、4年前から徐々に回復し、今はすっかり元気になりました。若い頃には何も考えずに平気でぱーっと声が出ていましたが、今は相当の工夫とケアが必要。でもその闘いがエネルギーを与えてくれる。技術で補いながら感性を高める。そういった年をとることの面白さを味わえるのも、谷を体験したお蔭です。
―丹波との関わりでは、市民創作オペラ「おさん茂兵衛丹波歌暦」が忘れられないですね。
さつき 小学生の頃からピアノのレッスンに宝塚まで通っていた、丹波出身の中西覚先生の作品ですから、思い入れはひとしおでした。祖母が歌ってくれていた「鐘がごんごん鳴るのは」という、丹波に伝わる子守唄まで入れて下さって、打ち上げの時は泣いてしまいました。
―5月26日(東京文化会館)、6月2日(綾部市・中丹文化会館)と記念公演が続きますが、7月8日の丹波の森公苑ホールでは何を歌う予定ですか。
さつき 前半は日本の歌。インド民話をもとに北原白秋が書き上げ、山田耕筰が曲を付けた「芥子粒夫人」は、せりふっぽい歌詞が美しいメロディーに乗っていて、とても素敵な曲です。後半はオペレッタなどの外国曲から思い出深いのを選んで軽やかに歌いたい。ほかにも、丹波の皆さんに親しまれているものをと考えています。
―最後に、これからの抱負を。
さつき 広い舞台に響く歌い方をしてきたんですが、これからは大きな会場だけでなく、目の前のものにささやきかけるような歌い方も取り入れて、さらに表現力を豊かにしていきたい。それから、後進の指導ということも考えるようになりました。今秋から200人ほどの合唱団の練習指導を頼まれています。「万葉集」という、オーケストラと合わせると90分にもなるオリジナル曲。セミプロ級の人たちを相手に、基本を抑えながらいかに気持ちよく歌わせるか。これまでひたむきに歌ってきたのとは全く違った仕事で、挑戦し甲斐があると、楽しみにしています。