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2017年1月29日18:00
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篠山市池上の吉田唯那さん ピアノ全国大...
篠山市山内町のピアノ教室「ピアノ専科」講師で、大阪音楽大学4回生の吉田唯那さん(21)=同市池上=が、このほど東京都で開かれた全国規模の音楽コンクール「第10回べーテン音楽コンクール」の自由曲コース・ピアノ部門の大学生・院生部門で1位に輝いた。初参加で、地区予選、本選を経て、全国から集まった約70人の中から、見事、栄冠を獲得した吉田さん。大学卒業後もピアノ講師として後進の育成に取り組むと言い、「思ってもみなかった受賞。ピアノを教える上で、自信につながった」と喜んでいる。
同コンクールは、音楽を学んでいる人たちの成長にと2007年に創設。子どもから大人までの各部門で延べ7000人が演奏に臨み、▽音楽性▽表現力▽音色の美しさ▽音楽的な響き―の各項目で審査された。
吉田さんは、「いろんな表情があって、聴いてくださる人も楽しんでもらえるものを」と、シマノフスキの変奏曲を演奏。近畿地区予選を突破し、地区本選では最優秀賞を受賞して、全国大会に臨んだ。
順位よりも講評を聞くのが楽しみだったといい、「自分の演奏をして、それが伝われば」と情緒豊かに演奏を披露した結果、「ここまで仕上がっている演奏はなかなかない」と、審査員から絶賛された。
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2017年1月29日18:00
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斎藤隆夫
77年前の今頃、昭和15年2月2日のこと。但馬出身の政治家、斎藤隆夫は歴史に残る国会演説をした。反軍演説である。日中戦争に対する政府の方針をただし、聖戦の美名に隠れて「国家百年の大計を誤ることがあれば、現在の政治家は死しても、その罪を滅ばすことはできない」と叫んだ。▼斎藤は国会から除名され、演説は議事録から削除。さらに斎藤には脅迫が続いた。自決用の短刀が送りつけられ、斎藤は暗殺を覚悟した。窮地にあって、斎藤は自分の思いを漢詩にしたためた。▼「吾が言は即ち是れ万人の声/褒貶毀誉は世評に委す/請う百年青史の上を看る事を/正邪曲直おのずから分明」。世間の評価は自分の知るところでない。百年後の歴史の上を見て、自分が考え、信じるところを鮮明にするのが政治家の使命である。そんな気概が伝わってくる漢詩だ。▼今、日本だけでなく欧米でも大衆に迎合する政治のことをいうポピュリズムが台頭している。大衆の情緒や気分に訴え、歓心を買い、大衆の人気を得ることに腐心する政治スタイルが支配的になりつつある。大勢を向こうに回し、命がけで信念を貫いた斎藤とは対極にあるスタイルだ。▼卓越した歴史観や世界観を持ち、長期的な視野で判断し、右顧左眄することないリーダーが理想なのだが…。(Y)
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2017年1月29日00:51
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美容室「Linda Linda」
元気に明るくなって
オーナーの堀川直人さんと妻の恵里さんが5年前に開業。店名は人気バンドの名曲からで、「美しく」という意味。スタッフの中澤瑠美さんは、「子どもから大人の方まで、元気に明るく帰ってもらえるように心がけています」とほほ笑む。
基本のカット(3990円)やカラー(5400円から)のほかに、まつげに人工毛を付けるマツエク(1時間付け放題6000円)や男女問わず人気のエステ(2700円)もある。アイリストの上鍋梨沙さんは、「マツエクは印象が変わるだけでなく、毎日の化粧も楽。ぜひ試してほしい」と話している。
篠山市東新町87-1
tel.079・506・2336
営業時間/火~金9:00~18:00 土、日、祝日9:00~17:00
毎週月曜、第1、3日曜定休
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2017年1月29日00:38
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美しい樹霜広がる 丹波市内 厳しい冷え...
大雪に見舞われ、厳しい寒さが続いたこの冬の丹波市。気象庁アメダス(丹波市柏原町)によるとこの冬一番の冷え込みは1月25日朝のマイナス4度。県の道路管理システムによると最も冷え込んだのは26日で、同市青垣町中佐治でマイナス6・4度だった。
26日の丹波市(同市柏原町)は天気予報ではマイナス9度だったが、マイナス3・4度だった。市内は寒気に包まれ、樹木などに凍った霜がトゲのようにつく樹霜が広範囲で見られた。
円通寺(同市氷上町御油)では、放生池の半分が凍り、境内のカエデの梢が樹霜で真っ白になり、雪の花が咲いたようになった=写真。
気象庁が柏原で観測を始めた1979年以降、一番低い最低気温はマイナス7・9度(1985年1月31日)。2桁のマイナスは記録されていない。
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2017年1月29日00:36
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805たんば 柏原に特設スタジオ 3月...
写真・かいばら観光案内所に開設した「805たんば」の特設スタジオ。毎週金曜日に放送がある=丹波市柏原町柏原で
かいばら観光案内所(丹波市柏原町柏原)に「805たんば」(同市氷上町市辺)の特設スタジオ「柏原サテライトスタジオ」が開設された。3月末まで毎週金曜(午後2時―2時半)に歴史や町並み、食べ物などを通し、柏原の魅力を紹介する。同協会は、2月24日から市観光ボランティアガイド連絡協議会の協力を得て、スタジオに各地域のボランティアガイドに来てもらい、地域の名所、見どころなども放送。「ガイド同士のトークを通じ、柏原と市内各地域を結ぶ新しい観光コースの発掘、提案につながれば」と期待する。
「805たんば」は、丹波市観光協会が募集した市民おもてなし向上事業に応募し、パーソナリティーの養成に取り組んだ。パーソナリティーの発表の場として特設スタジオを設置した。FM局の荒木伸雄放送局長は、「丹波市の魅力を内外にアピールできれば。動く放送局として、リスナーのみなさんに親しんでもらえる存在に」と話している。
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2017年1月29日00:34
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篠山鳳鳴高39回生 同窓会に100万円寄付
写真・39回生から寄付金を受け取った熊谷同窓会長(前列中央)や岸田校長ら=篠山市大熊で
篠山鳳鳴高校(岸田吉明校長)39回生の代表5人が1月26日、同校を訪れ、同窓会(熊谷満会長)に100万円を寄付した。「卒業30年後に同窓会を開く」「その際に寄付金を募る」という同窓生らの間で長年続く“伝統”を今年も実施。代表者らは、「鳳鳴健児たちが羽ばたく応援になれば」と寄付を通して、後輩らにエールを送っていた。
39回生らは、今年1月2日にユニトピアささやま(篠山市矢代)で同窓会を開き、参加した約120人から寄付を募った。
代表として母校を訪れた中村相石さん、橋元工さん、中野悟さん、森井実生さん、中森さぎりさんが、熊谷会長に寄付金を手渡した。
30年ぶりに訪れた人や、子どもが進学先の選択肢にしている人もいるなど、同窓生たちは母校の話題にも花を咲かせていた。
寄付金は、同窓会の教育振興基金とし、生徒らの学習合宿の費用や、卒業式前日に行われる3年間の「皆勤賞」、スポーツや文化活動で活躍した生徒に贈る「鳳凰賞」の盾購入費用などに使われる。
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2017年1月26日18:00
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宝橋山高蔵寺(篠山市高倉)
創建は孝徳天皇朝の大化2年(646)、法道仙人が開いた天台宗の古刹である。彼は黒頭峯というこの山嶺にかかる美しい珠玉の雲の架け橋を見て「宝橋山」と号したと伝わる。往時嶺の中腹には七堂伽藍21カ坊を誇ったが、天正年間明智光秀の丹波攻めに遭い焼失した。現在の本堂は享保6年(1721)再建。高蔵寺に通じる山門(仁王門)は明和7年(1770)建立と言われ、篠山市の指定文化財である。但馬のある寺院でも経験したことだが、この寺域にも不思議な“癒し”が感じられる。秋には丹波篠山紅葉三山の一つとして賑わう。
仁王門には阿吽の金剛力士像が、虹梁には前部に竜の彫り物がある。左前方を睨み、宝珠もしっかり握っている。中部には象が体をねじった姿。後部には大きな唐獅子が右前部へ体をよじっている。珍しい構図である。神仏習合関係のある神田神社の彫り物師、柏原4代目、中井言次君音の作である。
中井権次研究家 岸名経夫
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2017年1月26日18:00
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阿上三所神社(京都府京丹波町和知本庄)
旧和知町の市街地の奥まった所に鎮座する古社。往時は土豪の粟野氏の所領で、後、園部藩に属していた。創建時等は不詳で、現在の社殿は享和2年(1802)のもので、唐破風、三間社流れ造り、柿葺きの立派なものである。このほかに同じ名称の神社が近くに3社ある。
山裾に近づく。鳥居には青色に縁どられ立派な扁額が目に入る。向拝の目抜きには竹林の虎の姿、その上に、狭い空間ながらも迫力ある竜が前方を睨んでいる。下粟野のそれとは、竜の設置位置が上下逆だ。兎の毛通しの鳳凰も翼を大きく広げ、躍動感がある。蟇股の2頭の静、動の唐獅子も素晴らしい。風化をうけていない手挟みの華、すなわち花開いた牡丹の彫り物や精錬かつ力強い獏も見事だ。脇障子も手が込んでいる。中国の神仙説話の場面で、左は竜を足下に右は牛に乗った人物である。右脇障子に、彫物師柏原住中井丈五郎正忠の赤色も鮮やかな銘がある。
中井権次研究家 岸名経夫
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2017年1月26日17:57
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金型のモールドベース加工 長岡機械
製造業支える高い技術
〈本社・工場所在地〉丹波市市島町喜多22
tel.0795・85・2577
モールドベースは、パソコンや自動車エンジンなどダイカスト製品の金型の土台部分で、外枠とも呼ばれる。用途に応じ大小様々で、製造現場に無くてはならない。工場内には、NCフライス盤、マシニングセンターや平面研磨機、ラジアルボール盤などが並び、鋼材を切削加工している。
受注生産で、取り引き先の材料メーカーから支給された鉄製の鋼材を削って穴をあけ、磨きをかけて仕上げる。長さ20㌢から1㍍角の鋼材を何枚も組み合わせて、平均の高さ45㌢の箱型のモールドベースを作る。日産平均10㌧のペースで生産し、機械部品の製造メーカーに納入している。「金型がうまく入り込むように誤差を極力少なくし、0・01㍉から0・03㍉の範囲内におさまるよう精度を高めている」と長岡社長は話す。
コンピュータシステムを取り入れた最新式の機械を導入し、製造現場の要望に備えている。なかでも、NCフライス盤やマシニングセンターは、データ化した数値に基づき、切削加工を自動化する装置で、誤差を生じにくく、スピード化、量産化にも対応している。
「製品のモデルチェンジのたびに、金型を替えねばならず、モールドベースも作り替える。高い技術力で日進月歩の製造現場を支えている」と同社は自負。社員は地元の丹波市、福知山市、篠山市、綾部市から通う。「熟練工を育てたい。今後は、新規の営業開拓にも力を入れる。お役に立つことがあれば声をかけてほしい」と長岡社長。
市島工場は、1985年(昭和60)に操業。1996年(平成8)に尼崎市から本社機能を移転。
【設立】1969年(昭和44)【社長】長岡勝彦【資本金】2000万円【売上げ】約3億6000万円(2016年3月期)【従業員】47人【本社・工場】丹波市市島町喜多【業務】プラスチック、金属製品製造金型のモールドベース加工・販売
写真・最新の機械を使ったモールドベースの製造現場=丹波市市島町喜多で
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2017年1月26日17:54
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陶器でかわいい家作る 陶芸家が制作指導...
たんば黎明館内にあるギャラリー「JIZAI(自在)」(丹波市柏原町柏原)で1月29日午後1時半から、かわいらしい陶器の家の置物を作るワークショップが行われる。参加者を募集している。
同ギャラリーに出展している陶芸家・芥川啓子さん(60)=同市春日町黒井=が講師。型を使って形作り、高さ10㌢ほどの家を作る。窓や屋根もこしらえ、後日、芥川さんが色付けと焼成を行い、同ギャラリーで手渡す。
参加費1800円(コーヒー付き)。先着8人。「1月29日ワークショップ」というタイトルを付け、メール(jizaigallery@gmail.com)で申し込む。
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2017年1月26日17:52
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老舗企業
柏原納税協会の会報新年号によると、丹波地域には「創業百年以上」の企業が30社以上ある。やながわ(丹波市)の柳川拓三社長は4代目、北山鉄工所(篠山市)の北山良平社長は5代目。共に明治20年代から続く両社トップの対談が面白い。▼やながわは茶の加工販売のほかタケノコ、松茸などの特産物を扱っていたが、拓三氏が茶を売っていた百貨店で黒豆を勧められて置いてみたのがヒットし、和洋菓子の製造販売に転じるきっかけに。▼鍛冶屋からスタートした北村鉄工所は、鉄骨倉庫や木造住宅に手を広げ、カナダで建築デザインの勉強をした良平氏が起案した薪ストーブがじわじわ売り上げを伸ばしているという。▼両社とも百数十年の間に少しずつ変遷を遂げてきたが、現社長による創意決断は見事だ。柳川氏は「茶業が順調だった時期、ある本に『あなたの会社には“つぼみ”がいくつありますか』と書いてあるのがひっかかった」と語る。企業が長きに渡って栄えていくには、そうした自問が絶えず必要なのだろう。▼さらには「地元の集落が地域の素材を活かして都会の人を呼び込む会社を作ったのに参画」(柳川氏)、「農業高校がボイラーなど竹の利用方法を模索しているのに協力」(北山氏)。地域に根差そうとしている姿勢に何より感銘を受けた。(E)
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2017年1月26日17:50
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2.お米を量る「1斗升」
先日、馴染みのお菓子屋さんの〈迎え花〉は、1斗升に秋の花が入れてありました。「1斗升やね。懐かしい」と言ったら、店員さんは「え、これはお米を量る升なんですか」と言われました。そういえば、目にすることもなくなりました。
1斗升を見て、裸電球の下、両親と祖母が夜なべをしてお米の出荷準備をしていたことを思い出しました。大きな棒ばかりや、1斗升、お米の匂い…。昭和30年代初めのことだったのでしょう。
冬の間にこつこつと編んでおいた米俵に、収穫したお米を入れます。1俵は、4斗60㌔です。1斗升にお米を満たし、斗棒でならします。1斗15㌔を4回量って、さんだわら(藁で編んだ丸い座布団状のもの)で底を作った俵に入れます。そして、さんだわらでふたをして、縄で胴になる部分を3カ所締めます。土間に積み上げられた米俵は、翌朝荷車に積み、農協(今はJAといいますが)まで持って行きました。農協の倉庫の前で、米の検査員という方がお米を抜き取り、等級を決められた後、米俵は次々と倉庫に運び込まれていきました。
昔は、60㌔の米俵で流通していたのですね。1俵の単位は普通の人が持ち運びできるということで決められたそうです。が、気が付けば、お米の流通は30㌔の紙の袋になってしまっています。それでも重たいのに、昔の人はすごいと思います。
今でも農家では「今年は、4石なりやった」などという言い方をします。1反(10㌃)当たり、いくら収穫があったかということです。ちなみに、今年のわが家の収穫は、3石とちょっとなりでした。少なくてもお米がとれたということに深い安堵を覚えるのは、私が昔人間だからでしょうか。
そういえば、米俵だけでなく藁を見る機会も少なくなりました。稲刈りでは、時折稲木に架かっている藁を見ますが、コンバインで切って田に撒いてしまうことが多いです。また、藁でできたものを見ることも少なくなってしまいました。少し前までは、縄・筵・かます・ふご・箒・草鞋・お櫃いれ…と、たくさんの日用品がありました。今では、お正月のお飾り・注連縄などに見ることはありますが、自然循環としての藁の文化は、風前の灯火です。
* * *
〈お米の単位〉
今では使われることも少なくなりましたが、1石は1人が1年間に食べるお米の量が基準になってできた単位だそうです。10合=1升(1.5㌔)・10升=1斗(15㌔)・4斗=1俵(60㌔)・10斗=1石(150㌔)ということです。体積でいうと、1合は180ccになります。今でも炊飯器の1カップは180ccで量ることが多いですね。家庭では勺という単位も時に使います。10勺=1合です。
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2017年1月26日17:49
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*雪*雪*雪*もうご馳走さん!
静かに降りしきる雪の空を見上げると、ふわふわ舞い踊る綿毛のような雪が幾千も幾万も落ちてきて、たちまち全ての風景を銀色に包んでしまう。冷たく音のない空に向かってほわ~と広がる息が驚くほど温かい。
子どもたちが起きると一気に銀世界にカラフルな歓声が色を添え、こちらもジッとなんかしていられず、一緒に雪まみれになって土手でソリ遊び。ジンジンする手も、蒸気が上がりそうなホッペも真っ赤!大きな雪だるまも玄関先にお目見え♪
と、まぁ、ここまでは良かった。ホントまれに見る大雪を堪能した、で終われれば良かったのだが、自然の力を侮るなかれ。大寒波は猛威を振るい、ビニールハウスはペッチャンコに崩壊。ドッヒャ~ッ!マジっ?!それはものの見事に雪の重さで何十本もの鉄柱をグンニャリと。もう1棟は雪かきの甲斐あってか、ひとまず命拾い。それでも思わず父ちゃんと「はぁ~100万飛んでった」と漏らす。そんな子どもたちも「どうするん?ヤバいん?」の繰り返し。それでも何とか復活。たとえ悔し紛れに「あの日~あの時~あの場所でぇ雪かきしていたらぁ♪」なんて歌っても後悔先に立たず、ケセラセラ♪
そんな経緯を全て見ている子どもたち。それなりに思うんだろな。お姉ちゃんに至っては「ピアノもう要らん」と言い出した挙句、買い物に行っても「お菓子は買わない」。するとチビタも「そやな!」って。大丈夫、ハウスは落ちても頑張る気力は上がってるから!
(古谷暁子・ブルーベリー農家)
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2017年1月26日17:48
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猟師になった叔父
自動車教習所の教官をしていた叔父が、いつの間にやら箱罠使いの猟師になっていた。両親経由でちょくちょくシシ肉やシカ肉をもらっていたが、先日、久しぶりにゆっくり話す機会があったので、率直に聞いてみた。
「おっちゃん、なんで猟師になったん?」
「畑がイノシシに荒らされて腹が立ったさかいや」
私怨だった。サル害が多い地区で取材していて、笑顔がすてきなおばあちゃんが、「あいつらの頭かち割ってやりたい」と言ったことを思い出した。
叔父がする猟の話はどれも興味深いが、一番関心を持ったのは「解体」。その場で首を切って血抜きをし、ダニを取るために水に浸けておく。
聞いているだけで鳥肌が立つような内容だが、おかげでおいしい肉が食べられるのだから消費者は勝手なものだと反省した。
生き物と闘い、命をいただく。多くの人がそんな当たり前のことから遠ざかり、目を背けている。一度、叔父の猟と解体を見学させてもらい、命や食を考える機会にしたいと思う。(森田靖久)
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2017年1月26日17:47
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有機栽培の白豆腐「借金なし」提供 市島...
写真・在来種「借金なし」を加工して作った豆腐=丹波市市島町上垣で
地元産の有機野菜を多く取り入れたメニューを提供している飲食店「おばちゃんの店」(丹波市市島町上垣)が、有機栽培の珍しい白大豆「借金なし」を加工した豆腐の提供を始めた。仕入れる量が少ないため、メニュー化はしていないが、定食の「つきだし」として提供。白大豆の味が濃く、好評を得ている。経営者の藤田洋子さん(69)は、「安全安心で体に優しいものを提供し続けたい」と話している。
「借金なし」は、大正時代から埼玉県秩父地方で栽培されてきた在来種。借金を返し終えるほど、鈴なりに実を付けて多収穫できることが、名前の由来という。
同町内の有機農家の男性が栽培した「借金なし」を加工。男性によると、6、7年前、知人から同品種を譲り受け、栽培を始めた。土壌分析などを行い、バランスよい土づくりに励み、栽培面積は現在9反にまで広がった。
男性は2年ほど前、旧知の藤田さんに同品種を紹介。藤田さんは「枝豆にして食べたが、豆の味がしっかりしていた。思わず友人にも食べさせた」と話す。無農薬大豆による豆腐を製造する「まるしん豆冨店」(大阪市)で加工した。
柔らかく滑らかな舌触りの「すくい豆腐」で、奴豆腐や湯豆腐などに向いている。同店では、薬味を添えて提供している。
仕入れは月1回で数も限られているため、提供できない日もある。反響があれば、仕入れの頻度を上げたいという。午前11時―午後2時、午後5―10時。火曜の午後の部と、水曜が休み。同店(0795・85・1721)。
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2017年1月26日17:46
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村雲まち協 抱きぬいぐるみ展示 神戸の...
写真・展示している「抱きぬいぐるみ」とあさうみさん=神戸市中央区で
篠山市村雲地区の子どもや住民たちが毛布で作った「抱きぬいぐるみ」約40点が、県こころのケアセンター(神戸市中央区)で展示されている。村雲まちづくり協議会(粟野勝浩会長)が昨年8月に実施した「防災キャンプ」で製作したもので、多紀小学校体育館で一夜を過ごした段ボールベッドも一緒に並べている。3月18日まで。
抱きぬいぐるみは、造形作家のあさうみまゆみさん(今田町今田)が考案した。災害時の応援物資として真っ先に届く毛布に着目。柔らかく温かい物は人の心を落ち着かせ、癒す効果が高いという。切ったりせずに、そのまま丸めたり、ひもでくくってウサギやクマの形にし、子どもたちの癒し効果を高めている。
あさうみさんは、「いかなる状況におかれた時も、大人も子どもも、より良く健やかに生きるための術を身に付ける必要があるのではないか」とコメント。同まち協副会長の加古佳与子さんは、「『そんなもん作っても…』ではなく、子どもが必要とすることに付き合い、安心感を与えられる大人が増えれば」と期待している。
同センター(078・200・3010)。日、月曜休館。
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2017年1月26日17:43
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2度目の大雪に悲鳴 柏原20㌢、遠阪峠52...
写真・車庫から車を出せるように雪かきをする男性。屋根には70㌢ほどの雪が積もっている=丹波市青垣町今出で
大雪警報が発令され、丹波市内で1月23―24日にかけて2度目の大雪に見舞われた。県の道路情報によると、国道427号の青垣町遠阪峠で最大81㌢(24日午前11時時点)を観測。降り始める前は29㌢まで減っており、新たに52㌢積もった。丹波市消防本部(同市柏原町母坪)は20㌢(午前6―9時)だった。雪かきに追われる人たちは悲鳴を上げた。市内小中学校、高校は臨時休校になった。
県丹波土木事務所によると、国道427号(同市青垣町大名草)はピーク時45㌢(新たな積雪27㌢)、国道429号(同町中佐治)は59㌢(同42㌢)、県道青垣柏原線(同町西芦田)は43㌢(同35㌢)だった。国道173号(篠山市藤坂)は42㌢(同28㌢)。市の南部は雪が少なく、通勤時間帯から地面のアスファルトが見えていた。
遠阪峠に近い、遠阪地区では14―16日の残雪の上に新雪が降り積もった。国道427号沿いの民家の軒先には、除雪された雪が大人の腰から胸ほどの高さまで積もり、塀のようになった。
同町今出で雪かきをしていた70歳代男性は、22年前の豪雪時は屋根の雪下ろしをしたという。「若ければ、雪おろしをしたいくらい積もっている。ついこないだ3日かかって車庫から車が出せるように雪かきをしたのに、こう続いてはたまらない」とこぼしていた。
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2017年1月22日18:00
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年のはじめの
小学生の頃、一月一日は登校日だった。冷え切った講堂に集まり、何の話を聞いたのかは忘れたが、「年のはじめのためしとて 終りなき世のめでたさを」と唄った。一度だけ紅白饅頭を貰ったような記憶も。都会の学校では、とっくになくなっていた慣わしも、丹波では続いていたのかもしれない。
先日、新春恒例のニューイヤーコンサートに出かけた。東京のサントリーホールを皮切りに全国を廻る「ウイーン・フォルクスオーパー交響楽団」の演奏は華麗でとても楽しいものだった。ニューイヤーならではの、バレリーナたちが曲に合わせて踊ったり、オペラ歌手の独唱と盛りだくさん、まさに新春宝箱という感じで二時間があっという間に過ぎた。演奏曲目に、サントリーホール二十五周年記念ワルツとして「ヨハン・シュトラウス風一月一日」があった。演奏を聞いてびっくり。子どものころから聴き馴染んだ〈年のはじめのためしとて〉のメロディー。ワルツのリズムに、その歌詞が懐かしく浮かんできた。
「一月一日」という唱歌の作詞は、出雲大社の第八十代宮司「千家尊福」氏。出雲大社には、この歌詞を刻んだ歌碑があるそうだ。彼は貴族院議員や各地の知事も務めた政治家でもあったとか。作曲者は宮内省の雅楽長「上真行」で、明治二十八年に唱歌として元旦拝賀式の奉唱歌として定められたとか。昨年、生前退位の意向を示された陛下も一般参賀ではお元気な姿を見せられた。「終わりなき世のめでたさ」がいつまでも続くことを祈りたい。
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2017年1月22日18:00
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丹波霧
「霧は丹波霧と言われるものだった。…朝起きると八上城はいつも深い霧で包まれていた。霧の海の中に埋没していた」。井上靖の小説『戦国無頼』の一節である。「丹波霧」という言葉があるほどに、丹波の地を覆う霧は特異な自然現象と言える。▼丹波霧は、絵描きの心をとらえた。その一人が茨城出身の小川芋銭。市島の俳人、西山泊雲と親交のあった芋銭はしばしば丹波を訪ね、ときには長逗留した。泊雲宅に近い石像寺の庫裏の2階を画室に絵を描いた。その一つが霧の流れる丹波の峰々を描いた「丹陰霧海」。画室は「烟霧楼」と名づけていた。丹波霧にどれほど魅せられたかがわかる。▼植野記念美術館で展覧会を開催中の日本画家、常岡幹彦氏も丹波霧に魅せられた。父親で画家の文亀氏の影響か、幼い頃から絵に親しんだが、画家になることに迷いがあった。決心をつけさせたのは丹波霧だった。「峠を歩くと、流れる霧が体を通り抜けるように思え、これを表せたら」と思い、東京芸大に進んだ。▼「無情説法」という仏教語がある。感覚が鋭敏だと、言葉を語ることのない山川草木から説法を聞くことができるというのだ。自然から何かを感じ、何かが見えた時に詩や歌、さらには絵が生まれる。▼芋銭も常岡氏も、丹波霧から説法を受けたに違いない。(Y)
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2017年1月22日18:00
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市民活動参加しよう 2月11日、柏原でシ...
「生涯学習・市民活動実践グループシンポジウム」(丹波古文書倶楽部主催)が2月11日午後1時半―4時半、柏原住民センター(丹波市柏原町柏原)で開かれる。講演会やパネルディスカッションを通して市民活動の楽しさや意義を伝え、市民活動への参加を支援する。
県公民館連合会の萬浪佳隆会長が「社会貢献活動の楽しさとは」と題して講演する。パネルディスカッションでは、FM805たんばの足立宣孝理事長、市囲碁ボール協会の前川豊市事務局長、青垣いきものふれあいの里の大西毅正施設長、丹波古文書倶楽部の川口利和代表、劇研椎の実の荻野祐一代表の5人が登壇する。
また、活動団体のパネル展示も行う。参加費300円(市内で活動する約1300団体名の一覧冊子の資料代)。先着50人。申し込みは1月31日までに、同倶楽部の岸孝明副代表に電話(090・8882・5537)か、名前、住所、連絡先、参加者名を書いて、ファクス(0795・72・0951)、Eメール(t.kishi@cello.ocn.ne.jp)で。