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切り抜き詳細
発行日時
2014-6-15 8:23
見出し
父を思う
リンクURL
http://tanba.jp/modules/column/index.php?page=article&storyid=3883
記事詳細
早くに父親を亡くした知人の男性から聞いた話だ。 父親がこの世に生きた歳月を超えたとき、 その知人は、 離れて住む母親へ報告に行ったそうだ。 「お父さんの年齢を超えたよ」 と―。 この話、 実感としてわかる。 ▼私の父は55歳で亡くなった。 以来、 55歳は、 自分の人生にとって一つの区切りとなった。 55歳まで生きられれば 「まずはめでたし」 であり、 それ以上に生きられるとすれば、 余禄として受け止めようと思った。 そして今、 余禄の域に入った。 ▼仏教詩人の坂村真民も、 似た考えを持っていたことを、 最近になって知った。 真民が8歳のとき、 村の小学校の校長だった父親は40の厄を越えきれずに亡くなった。 「わたしが四十歳になり、 父の死のよわいを越えた時、 これからは余生である (と思った)」 と、 著書にある。 ▼ただ凡夫の私と決定的に違うのは、 余生を生きる心構えである。 凡夫は余禄を与えられたことに感謝するのが関の山。 対して真民は、 余生であるのだから「世のため、人のためになる、 何かをしなければならぬ」と考え、詩作にいっそう精進したという。▼真民は、父の唯一の形見となった徳利で酒を飲んだという。 父の一生を思いながら、 父の悲しみ、 この世を生きる辛さを酒と共にかみしめた。 ひとしおの味わいだったに違いない。 きょうは 「父の日」。 (Y)