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切り抜き詳細
発行日時
2014-6-8 8:45
見出し
“河童の芋銭”から179通 泊雲(3代目蔵主)と友情深める 西山酒造場
リンクURL
http://tanba.jp/modules/topics/index.php?page=article&storyid=8017
記事詳細
「河童の芋銭」 として知られる日本画家、 小川芋銭 (1868―1938) が、 親交のあった西山酒造場 (丹波市市島町中竹田) の3代目蔵主、 西山泊雲 (1877―1944) に送った手紙179通の内容がこのほど、 小川芋銭研究センター (茨城県) の調査で明らかになった。 泊雲の体調を気遣ったり、 近況を報告するなど、 親交の深さが感じられる内容という。 西山周三社長は 「多くの人に見てもらえるように検討している」 と話している。 手紙は1918年 (大正7) ―37年 (昭和12) に送られたもの。 封筒には 「丹波国氷上郡竹田 西山亮三様」 と、 泊雲の本名が書かれている。 同社の西山裕三会長が、 書庫を整理していたときに手紙を見つけ、 内容を調査してもらおうと2年半ほど前に同研究センターに送っていた。 手紙を調べた同研究センター首席学芸員の北畠健さんは、 「芋銭から泊雲への手紙はこれまでに多く確認されているが、 今回の手紙で2人の関係がより詳しくわかり、 貴重なもの」 と話す。 「手紙の中には、 『厳しい経済状況だが、 気を確かに持つように』 と泊雲を激励するような内容もあり、 熱い友情が見て取れる。 中国の老子や荘子などの言葉を引用している部分も見られ、 ともに文化人として教養が高かったことがうかがえる」 と話している。 泊雲は酒造業の傍ら、 俳句に傾倒。 弟の野村泊月とともに 「丹波二泊」 と称された。 河童の絵を多く描き、 「河童の芋銭」 として有名な芋銭とは、 16年 (大正5)、 短冊に描く絵を依頼したことから親交が始まった。 その後、 芋銭は西山家や石像寺 (同町中竹田) に長期滞在して創作活動をするなど、 親交を深めた。 泊雲の長女と芋銭の三男、 泊雲の長男と芋銭の次女が結婚するなど、 公私ともに親しい間柄になった。 同酒造場では、 今後、 蔵見学者に手紙を見せたり、 額に入れて飾ることも検討している。 西山社長は 「丹波の自然を愛した2人の手紙から、 新しい丹波の魅力を発見してもらえればうれしい」 と話している。 【小川芋銭】おがわ・うせん。 日本画家。 東京生まれ。 本名、 小川茂吉 (しげきち)。 本多錦吉郎に洋画を学び、 独学で日本画も習得。 茨城県牛久に移り住み、 農業の傍ら、 新聞などに挿絵や漫画を描いた。 雅号は 「自分の絵が芋を買う銭になれば」 という思いからつけた。 働く農民の姿や田園風景を主題にした作品や、 水辺の生き物や不思議な生物などを描いた。 河童の絵を多く描いたことから、 「河童の芋銭」 として知られている。