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切り抜き詳細
発行日時
2014-5-18 8:31
見出し
井上秀さんのこと
リンクURL
http://tanba.jp/modules/column/index.php?page=article&storyid=3855
記事詳細
先回、 春日町山田出身の、 日本初ともいえる家政学者 「井上秀」 について少し触れた。 彼女は明治八年春日町船城村山田の素封家井上家に生れた。 十歳で柏原町の郡町村組合立氷上高等小学校(この建物は柏原町の大手会館で現在改修中)に入学。 当時男子は五十名、 女子は三名だった。 在学中に今井まき子先生から 「女に学問はいらないというのは古い考え方です。 これからは女子も大いに勉強して国家に尽くす人にならなければいけません」 と言われ、 当時関西でも名高い京都府立第一高女に進学した。 二十歳で丹波の人を養子として迎え入れたものの、 明治三十四年二十六歳で日本女子大の第一回生として家政学部に入学した。 その後はアメリカに留学して学ぶなど、 当時の女性の受ける教育の最先端を進み、 その後日本女子大の教授として 「井上家政学」 を体系化した。 今回の朝ドラの原作、 「アンのゆりかご」 に、 井上秀の名前が登場する。 それは、 花子が二十歳で給費生として学業を終え、 英和女学校に就職してからのことである。 軽井沢での革新的、 進歩的な女性たちの夏期講習会で、 様々なその時代を前向きに生きる人たちから講義を受けた。 その中に 「のちに日本女子大の学長になる家政学者の井上秀からは、 アメリカの婦人問題の講義を受けた」 と書かれている。 「井上秀」 という女性について今回初めて知った。 船城の山田は母の故郷で、 子どもの頃何度も訪れた懐かしい土地だ。 「花子とアン」 の朝ドラから、 母の故郷出身の偉人につながったことが、 今とても嬉しく誇らしい。