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切り抜き詳細
発行日時
2014-5-1 14:36
見出し
「時は今…」
リンクURL
http://tanba.jp/modules/column/index.php?page=article&storyid=3842
記事詳細
NHK大河ドラマで 「軍師官兵衛」 が放映されている。 黒田官兵衛は、 羽柴 (豊臣) 秀吉の側近。 織田信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、 毛利攻略のために中国地方に進軍していた秀吉に、 「光秀を討つべし」 と進言したことで知られる。 かたや、 光秀の重臣、 斎藤利三は、 本能寺の変で、 主君の織田信長を討てという光秀の命を受け、 軍団をまとめた功績が伝わる。 「時は今、 天 (あめ) が下知る五月哉 (かな)」 という句が本能寺の変直前の光秀の心境を表わすとされる。 リーダーには、 ブレーンの存在が大きな意味を持つ。 群雄割拠の戦国時代が人を引きつけるのは、 城主だけでなく下臣の様々な行動が、 今の世にも当てはまる面があるからだ。 兵庫、 京都府などの連携により、 「明智光秀を大河ドラマに」 という運動が進められている。 光秀が攻略に手こずり、 信長をあせらせた黒井城、 八上城の戦いがポイント。 丹波平定を成し遂げた光秀に対する信長の信頼度は以前にも増しただけに、 平定数年後の本能寺の変は不自然。 諸説ある2人の確執の謎は深い。 平定が自信となり、 かねてからの胸に秘めた計画を遂行したのか。「家康や信長、 秀吉は偉大な人。 光秀は苦悩や成功、 挫折をともに味わった人。 共感が持てる」 というある光秀研究者の言葉に実感がこもる。 隆盛をきわめた人の没落、 新興勢力台頭など歴史は繰り返す。 新緑が目立ち始めた黒井城跡のある猪ノ口山。 篠山を東に車を走らせ、 迫りくる八上城跡のある高城山の風景は風格を感じる。 山を眺め、 戦国時代に思いをはせたい。 大河ドラマ誘致は、 まさに、 「時は今」である。「戦いの舞台静かに初夏の風」。(臼井 学)