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切り抜き詳細
発行日時
2013-11-24 8:56
見出し
流れ星
リンクURL
http://tanba.jp/modules/column/index.php?page=article&storyid=3696
記事詳細
たぐいまれな艶歌歌手、 藤圭子の自殺から三カ月。 まだまだその真相は分からないままだ。 十代でミリオンセラーを出した娘、 宇多田ヒカルのこれからの行く末を思う。 藤圭子が 「新宿の女」 で歌手としてデビューしたのは一九六九年、 十八歳のときだ。 ハスキーなドスのきいた声は、 その後の 「女のブルース」 「圭子の夢は夜ひらく」 「命預けます」 などのミリオンヒットに続く。 彼女の父親は浪曲師、 母親は目の不自由な三味線瞽女 (ごぜ) だった。 生活のために旅回り、 十七歳のとき、 札幌雪祭りで唄ったときにレコード会社にスカウトされた。 彼女自身は、 艶歌よりジャズやロックが好きだったという。 当時、 同じハスキーボイスの青江三奈をしのぐ人気を博した藤圭子。 若者にも 「怨み節」 としてもてはやされた。 ノンフィクション作家、 沢木耕太郎が、 引退宣言をした二十八歳の彼女へのインタビューをまとめた本、 「流星ひとつ」 が十月に出版された。 実に正直に二十八歳までの人生を語る藤圭子。 前川清との結婚と離婚のいきさつ、 最初こそ好意的だったマスコミが、 売れっ子になるにつれ、 あることないことをでっち上げていく過程。 それらはまことに痛ましい。 二十八歳で渡米して、 新しい人生を歩みたいと望んだ気持ちが痛いほど伝わる。 引退して渡米、 そこで新しい伴侶を得て母親になった。 愛娘、 宇多田ヒカルのデビューなど、 もっと幸せになれるはずだったのに。 自殺という、 残されたものにとって最も辛い死を選んだ藤圭子。 長く心を病んでいたとか。 まさに流星のような人生だった。