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切り抜き詳細
発行日時
2013-10-31 9:34
見出し
丹波佐吉
リンクURL
http://tanba.jp/modules/column/index.php?page=article&storyid=3674
記事詳細
11月4日、 丹波の森公苑で 「丹波佐吉物語」 と題した催しが開かれる。 佐吉は、 音の出る石の尺八を作り、 孝明天皇から 「日本一」 と称賛された柏原ゆかりの石工だ。 ▼1816年、 和田山町の生まれ。 幼くして両親を亡くした佐吉は、 柏原町大新屋の石工、 初代難波金兵衛に引き取られ、 石工として成長する。 やがて柏原を離れた佐吉は、 61年、 柏原の恩人からの依頼で柏原八幡神社の狛犬を作る。 ▼この狛犬を 「佐吉の最高傑作」 と評する金森敦子氏の著書 『旅の石工』 によると、 狛犬完成から5年後、 佐吉は柏原に戻り、 不動明王像を作る。 梅毒に侵され、 死を覚悟した中での制作だった。 「自分がだんだん腐っていくことを思うと、 気が狂いそうになっただろう。 死は確実にそばまでやって来ている。 その中で佐吉はもう一度執念のようにノミを手にしているのだ」 と、 同著にある。 ▼ 「事実上の最後の作」 とされる不動明王像を作って、 佐吉は柏原を去り、 二度と帰らなかった。 金森氏は、 野垂れ死にをしたかもしれないと推測する。 ▼古里でもある柏原で、 死を予期しながら不動明王像を作った佐吉の職人としての気概。 医学者で、 教育者でもある平澤興氏に 「生きるとは燃えること」 という言葉がある。 佐吉は、 不動明王像が背にする火炎のように生きたのかもしれない。(Y)