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切り抜き詳細
発行日時
2013-9-12 9:26
見出し
正岡子規
リンクURL
http://tanba.jp/modules/column/index.php?page=article&storyid=3633
記事詳細
亡くなるまで3年間、 寝たきりで精力的に創作活動した正岡子規は、 暑い夏をどう過ごしたのか。 残暑見舞葉書に 「子規の病床に扇風機はあったでしょうか」 と書いたら、 友人が 「病床六尺」 の一節を返信してきた。 ▼ 「この頃の暑さにも堪へ兼て風を起す機械を欲しと言へば、 (河東) 碧梧桐の自ら作りて我が寝床の上に吊りくれたる、 仮にこれを名づけて風板といふ」。 逝く2か月前、 明治35年7月の日記だ。 ▼ 「風板引け鉢植えの花散る程に」 の句も添えられているが、 俳人坪内稔典氏によると風板なる記述は以後出て来ないので、 効果はあまりなかったのではという。 扇風機は明治30年代には日本で販売されていたらしいのだが、 高価過ぎたのだろう。 額に汗を滲ませる子規の顔を思い浮かべていたら、 「でも今ほど暑くはなかったと思いますよ。 東京でも家が建て込んでいないので、 自然の風が入ってきたでしょう」 と坪内さん。 ▼亡くなる1年前の 「仰臥漫録」 には、 「黙然と糸瓜 (へちま) のさがる庭の秋」 「日掩 (ひおい) 棚糸瓜の蔓の這ひ足らず」。 9月、 残暑が続いていたろうが、 どこか落ち着いた気分も漂う。 「年中病気の自分は病気を楽しむのだ、 というのが彼の言い分」 (坪内氏 「柿喰ふ子規の俳句作法」)。 ▼つまるところ、 文明が発達するほど人は不幸になるのか。(E)