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発行日時
2013-8-4 9:00
見出し
「夢の鉄道」の電報発見 田艇吉が郷里へ 丹波市内の旧家から
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http://tanba.jp/modules/topics/index.php?page=article&storyid=7026 「夢の鉄道」の電報発見 田艇吉が郷里へ 丹波市内の旧家からへの外部リンク
記事詳細
 丹波市柏原町下小倉出身で、 明治期に政治家・実業家として活躍した田艇吉氏が、 功績の一つである 「阪鶴鉄道」 の開通計画が政府から認可された際に、 東京から郷里に宛てた電報が丹波市内の旧家から見つかった。 電報に打たれた15文字は悲願達成の喜びが垣間見える文面。 郷土史家は、 「田の夢が叶った瞬間を伝える貴重な史料」 と話す。  明治27年 (1894) 5月29日に当時の氷上郡長だった山崎矩員氏に宛てて送られたもので、 「ハンカク、キゾクインモツウカシタ (阪鶴、 貴族院も通過した)」 とある。  阪鶴鉄道は、 明治30―37年にかけて敷設され、 大阪―舞鶴間を結んだ鉄道で、 現在のJR福知山線の前身。  明治22年、 氷上郡長だった田は、 氷上郡と阪神地方との交通が不便だったこともあり、 鉄道開通に注力。 近隣郡長らとともに発起し、 政府要人に懇請したが却下された。  25年には衆議院議員として、 再度、 「土山 (播磨・明石) ―舞鶴間」 の法案を提出したが、 逓 (てい) 信省と陸軍省で意見が分かれ、 同意には至らなかった。 それでもあきらめなかった田。 大阪―舞鶴間に計画を修正し、 ついに27年5月29日、 貴族院を通過し、 計画がスタートした。  柏原歴史の会の竹内脩会長 (71) は、 「119年前に、 貴族院通過後、 すぐに打たれた電報からは、 田の喜びが伝わる」 と話している。 電報などの史料は柏原歴史民俗資料館に寄贈される予定。 写真・明治27年に田が郷里に宛てて送った電報などの史料=丹波市柏原町で