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切り抜き詳細
発行日時
2013-6-2 8:30
見出し
子どもの名前
リンクURL
http://tanba.jp/modules/column/index.php?page=article&storyid=3540
記事詳細
本紙コラム 「望エン鏡」 (5月26日付) に、 今ごろの子どもには、 「ふりがながなければ何と読むのか見当もつかない」 ような名前が目につくとあった。 これは、 執筆者の河合雅雄氏のみならず大方の感想だろう。 ▼ただ、 難読の名前は今に始まったことではないようだ。 たとえば 「徒然草」 に、 才知のあるところをひけらかすような名づけは嫌味であり、 「人の名前に見慣れない文字をつけようとするのは無益なことだ」 とある。 ▼時代はくだって、 本居宣長も同様のことを書いている。 「すべて名は、 いかにもやすらかなる文字の、 訓 (よみ) のよく知られたるこそよけれ」。 読みづらい名前は昔にもあったことがわかるが、 兼好も宣長も、 難読の名前に眉をひそめていたこともわかる。 ▼河合氏は、 コラムで 「名前は子どものものであって親のものではない」 と書かれていた。 まったく同感だ。 名前は、 その本人が死ぬまで背負っていくもの。 その基本は忘れないでいたい。 ▼名前は子どものものであると同時に、 公のものでもある。 思想家の内田樹氏が 「私の名前は私自身にとっては用がない。 用があるのは、 私の名を呼ぶ他人だけである」 と書いている。 的を射た理屈だ。 思わずうなってしまう名前が少なくない昨今。 「太郎」 というありきたりの名前がかえって新鮮に思える。(Y)