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切り抜き詳細
発行日時
2013-5-12 8:29
見出し
東北へ行こう―東日本大震災被災観光地の今― 気仙沼市・下
リンクURL
http://tanba.jp/modules/features/index.php?page=article&storyid=856
記事詳細
復興商店街に活気 気仙沼漁港を抱える沿岸地帯は、 瓦礫こそきれいに片づけられたが、 上屋の建物はほとんどなく、 だだっ広い空間が続く。 地盤が低くなり満潮時に海水があふれるので、 かさ上げ工事用の土砂がそこここに積み上げられ、 岸壁にはクレーン車両がひしめいている。 街路灯もなく夜は真っ暗。 心臓部のエリアなのだが、 元の活気を取り戻すにはまだ相当の年月がかかると思われる。 海岸部の中心商店街のあった場所は跡形もなく、 「かもめ通り」 の煉瓦の文字だけが読み取れた。 「共徳丸」 という380トンの漁船が、 900メートル内陸に打ち上げられたままの姿をさらしている。 市は 「震災のモニュメントに」 と望んでいたが、 船主は今秋までに撤去することを決めた。 水際から少し離れ全壊を免れた商店街でも、 元の場所で営業出来る店はまばら。 それでも各地にプレハブ長屋の 「復興商店街」 が出来て、 観光客で賑わっている。 寿司屋のネタはさすがに新鮮で、 うまい。 夜、 昼行った2回とも大変混んでいた。 フェリーに20分ほど乗って、 湾の入り口にある大島へ。 と言っても1周20キロ余りの小島。 橋を通す計画もあるほど、 目と鼻の距離だが、 2隻のフェリーが諸共やられ、 長い期間孤立状態になった。 そこここで工事が行われ、 この日も乗船した多くはその関係車両だった。 タクシーで島を北端から一望できる亀山へ。 本土側の半島と絡み合いながら、 リアス海岸の深緑が青い海上にモザイク模様を作っている。 標高200メートル余りの山頂近くまで、 松の幹が黒く焦げていた。 対岸の石油タンク群が火災を起こし、 海面に流れた油を伝って火がここまで昇ってきたという。 前方に見える遠浅のきれいな砂浜も震災で半分ほどに狭くなったとか。 浜を望む丘陵地にある 「みちびき地蔵」 に参った。 「ハマキチ母子が家に帰る途中、 大勢の村人や牛馬の幻がこの地蔵堂に次々に挨拶に来て、 やがて天に昇って行った。 翌日、 異常に潮が引いた浜で潮干狩りに夢中になる人々を大津波が襲ったが、 ハマキチの一家は急いで裏山に逃げて助かった」 との伝説が残る。 江戸時代からお堂に納まっていた3体の木製の地蔵は今度の津波で全滅。 物語がテレビアニメで放送されたこともあり、 話にひかれた京都府綾部市民初め全国からお金が寄せられ、 地蔵は再建された。 真新しい石地蔵がひっそりとした木立の下で柔和な笑みを湛えていた。 地元新聞の三陸新報社を訪ねる。 山の手にある同社は震災時、 社屋は無事だったものの、 輪転機が止まってしまい、 車のバッテリーでパソコンから出力し、 その後も1日も休まず発行して避難所などに配って回った。 2万3000部から一時は1万まで減っていた部数が、 ようやく2万部まで回復。 「従業員の一時解雇も覚悟していたが、 ここまで立ち直れるとは思わなかった」 と浅倉眞理社長。 震災直後は 「会葬御礼」 ばかりで埋め尽くされていた広告欄にも、 復興の息吹を感じさせるものが顔を出してきた。 遅いながらも人々は一歩一歩、 踏み出している。(小田晋作)