HOME
お知らせ
日々のこと
家づくり
農耕生活
食べもん
モノづくり
暮らし
地域づくり・人づくり
丹波のニュース
管理者コラム
お問い合わせ
オンライン状況
85 人のユーザが現在オンラインです。 (23 人のユーザが 丹波のニュース を参照しています。)
パソコンとスマートフォンのウィルス対策大丈夫ですか?
あっぷ丹波がお奨めするウィルス対策ソフトはこちら
今なら1台あたり年額約450円から
さらにさらに期間限定で
1台あたり年317円!!
切り抜き詳細
発行日時
2013-3-17 8:56
見出し
石龕寺(せきがんじ)
リンクURL
http://tanba.jp/modules/column/index.php?page=article&storyid=3467
記事詳細
先回、 山南町の石龕寺で吟行をした。 石龕寺の 「龕」 の字はとても難しい。 意味を調べたら、 「①岸壁や仏塔の下に彫りこんだむろ。 中に仏像や宝物を納める」 「②中に仏像を入れる厨子」 とある。 解字には 「龍+合 (ふたをしてとじる) で、 とじて中に大切なものを入れ込む所」 とも。 本堂から約八百メートルに奥の院があり、 その石窟が寺号の由来であるという。 残念ながら今回、 奥の院へは行けなかったけれど、 またの機会にぜひ登ってみたい。 丹波の名刹や名所を訪ねて思うのは、 丹波出身と言いつつ、 あまりに丹波を知らない自分の恥ずかしさだ。 名所旧跡や歴史に興味を強く持つようになったのは、 本欄を担当してからで、 さらに俳句を始めたことも、 その傾向に拍車をかけたようだ。 それはさておき、 石龕寺の立派なこと。 まずは仁王門に立つ。 鎌倉前期の仏師 「定慶」 作で重要文化財に指定されている。 山門に掲げられた 「扁額」 は、 村上天皇 (九二六~九六七年) の命により、 小野道風に書かせたものであるという。 かつて、 仁王像には、 もっと鮮やかな彩色がほどこされていたのであろう。 春雪の降りしきる中で、 全身に力を籠めて立ち続ける仁王像に、 強さと同時に、 長い時の流れに剥落してゆくものの哀れも感じた。 南北朝時代、 足利尊氏が戦いに敗れ、 その子義詮に仁木兄弟をつけ、 二千騎を寺領に留めた話は有名。 そのときの 「ててうち栗」 の逸話は、 今聞いてもおもしろい。 その後、 信長の丹波攻めにより、 兵火に焼き尽くされたが、 仁王門は残った。 さすが仁王さんだ。