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切り抜き詳細
発行日時
2013-1-13 8:46
見出し
成人の日
リンクURL
http://tanba.jp/modules/column/index.php?page=article&storyid=3403
記事詳細
二宮尊徳の研究家として知られ、 氷上町の名誉町民第1号になった佐々井信太郎の転機は、 20歳の時に訪れた。 この年、 鉱山の仕事をしていた父親が死去。 多額の借金を残していたことがわかったのだ。 田畑や山林、 家屋などをすべて処分したが、 まだ借金は残った。 ▼長男だった佐々井には弟や妹がおり、 母親は病気がちだった。 若くして一家の大黒柱となり、 学校教員を務めた。 やがて小田原の学校で教べんを執った佐々井は、 小田原の偉人、 二宮尊徳に出会う。 ▼少年時代に両親が相次いで亡くなり、 財産もすべて失った尊徳だが、 刻苦精励の末に生家を再興する。 自分の境遇を尊徳と重ね合わせた佐々井は、 尊徳の研究に励んだ。 その一方で父の残した借金を返済し、 35歳のとき、 すべて返し終えた。 それまでの生活について佐々井は、「極限線に近い『我慢線』 だった」 と表現している。 ▼ 「すゑつひに 海となるべき やま水も しばし木の葉の したくぐるなり」。 深山から湧き出た水は木の葉の下をくぐり抜けながら、 いくつかの流れと合流し、 やがて大海の水となって、 大船をも浮かばせる。 青年時代の苦労の大切さを教えてくれる歌でもある。 ▼学問に励むだけでなく、 尊徳と同様に貧しい農村を救う活動もした佐々井の出発点は20歳の時だった。 明日は 「成人の日」。(Y)