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切り抜き詳細
発行日時
2012-11-18 8:58
見出し
丹波布
リンクURL
http://tanba.jp/modules/column/index.php?page=article&storyid=3356
記事詳細
立冬が過ぎ、 十一月も早半ばに。 日の暮れの早さも相まって、 いよいよ時間の過ぎる速さが身にしみる。 俳人細見綾子に 「冬来れば母の手織の紺深し」 の句がある。 母の手織りとは、 「丹波布」 であろう。 綾子の母は、 機織 (はたおり) が得意で、 随筆集 「花の色」 に 「木綿縞」 と題したこんな一文がある。 「正月に私は毎年、 木綿縞の着物を着ることにしている。 この木綿の縞は母の手織りのもので、 一枚は大きな縞、 一枚は細かい縞、 大きな縞の方はふとん用にでも織ったものらしく思いきった大柄で、 一幅に三本ほどの縞、 中央に紫の絹糸の縞が一本通っていて、 私はこの紫色の一本の縞が気に入っている。 (中略) 絹糸の縞を入れることはその当時 (明治末期から大正初期にかけて) においては大した奢 (おご) りで、 『これは絹糸なんだよ』 と、 母は眼を細めて言ったものである」。 綾子の生家は青垣町の東芦田で、 当時、 その辺りでは養蚕が盛んであったことなども書かれている。 先月、 丹波布復興、 伝承の第一人者、 青垣の足立康子さんのこれまでの歩みを、 歴史民俗誌 「サーラ」 編集長、 吉田ふみゑ氏が取材し、 まとめた本 「丹波布に魅せられたひと」 が出版された。 同時に青垣の足立さん宅で、 丹波布の展示会も行われた。 神戸から丹波へ嫁がれ、 土蔵にあった江戸時代の縞帳を見つけた時が、 足立さんと丹波布との出会いだった。 それから半世紀を、 丹波布ひと筋に取り組んでこられた真摯な生き方に頭が下がる。 丹波布復興の歴史や 「丹波布伝承館」 ができた経緯なども書かれていて興味深い。