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切り抜き詳細
発行日時
2012-9-2 9:04
見出し
木像の僧“正体”判明 質素倹約に生きた名僧 丹波市春日町棚原
リンクURL
http://tanba.jp/modules/topics/index.php?page=article&storyid=5857
記事詳細
丹波市春日町棚原にあり、 丹波市指定文化財 「木像釈迦如来坐像」 が安置されている瑞巌庵観音堂を再興した実堂大和尚 (1632―1711) が、 地元春日町の 「三井庄」 生まれで、 高位の僧が着用する紫色の袈裟と法衣を着ることを天皇から許された名僧だったことが明らかになった。 瑞巌庵には実堂大和尚の木像が伝わっているが、 これまで棚原地区では、 実堂大和尚が瑞巌庵を再興した年と、 亡くなった年しか分かっていなかった。 実堂大和尚は寛永9年 (1632) 11月、 丹州氷上郡三井庄山戸に生まれる。 同17年 (1640) に9歳で得度。 寛文11年 (1671) には滋賀湖南市雲照山妙感寺住職として本堂を再建。 天和3年 (1683) には臨済宗本山妙心寺に出世転衣し、 紫衣を着ることが許される。 元禄15年 (1702)、 三重県伊勢市の中山寺第三世に就任。 宝永3年 (1706) に故郷へ帰り、 瑞巌庵を再興した。 中山寺で2011年5月、 第一世愚堂和尚、 第二世雪潭和尚、 第三世実堂和尚の合同大法要が開催された。 これに向けて同年2月、 「図録神護峯中山寺」 を作成する史料を探していた松谷寺 (篠山市) の能仁晃道住職が同地区を訪れたのがきっかけ。 同自治会パワーアップ事業推進委員会は、 古文書を整理、 解読した史料をホームページで公開しており、 同住職の目にとまった。 瑞巌庵に残る史料と、 中山寺に残る史料を照らし合わせることで、 同和尚の略年譜を作成することができた。 昨年12月には、 中山寺の第十四世義彦宗徳和尚らが棚原にある実堂和尚の墓参りに訪れ、 今年3月には同推進委有志が中山寺を訪問するなど、 交流も生まれた。 同委員会の上田脩さんは、 「現代に欠けている、 質素、 倹約の精神一筋で生きてこられたような名僧であったことが分かり、 略年譜が裏付けされた。 地元にとっても名誉であり、 すごいこと」 と話している。