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切り抜き詳細
発行日時
2012-8-5 9:59
見出し
戦争俳句
リンクURL
http://tanba.jp/modules/column/index.php?page=article&storyid=3261
記事詳細
暑い日が続く。 この暑さを表現する言葉に 「劫 (ごう) 暑」 がある。 劫は、 おびやかす、 などの意味がある字。 きわめて厳しい暑さを思わせる 「劫暑」 だが、 片山桃史 (とうし) はこの劫暑を用い、 「我を撃つ敵と劫暑を倶 (とも) にせる」 と詠んだ。 ▼桃史は大正元年、 春日町黒井の生まれで、 戦争俳句で知られる俳人。 先の句も戦争俳句に入ろう。 昭和12年に出征。 帰還後、 再び出征し、 19年に東ニューギニアで行方不明となり、 敗戦後の22年4月、 戦死の公報が届いた。 31歳の若さだった。 ▼先ごろ桃史のふるさとで、 桃史の遺品展が開かれた。 その中に 「祝出征」 と書かれた縦6メートル、 幅70センチほどののぼりがあった。 昭和12年の出征時、 地元から贈られたもので、 こののぼりを先頭に村の人たちと神社で祈願をし、 黒井駅で万歳の声と共に見送られたという。 戦争で、 俳句の道が断たれた桃史の無念を思うとき、 「祝出征」 の 「祝」 の字がむなしく、 哀しい。 ▼ 「遺品あり岩波文庫阿部一族」。 桃史と同様、 新興俳句運動に加わった鈴木六林男 (むりお) の句だ。 先ごろ丹波市であった講座で、 講師を務めた俳人の足立幸信さん (青垣町) は、 この句を 「戦争俳句の最高傑作だと思う」 と紹介しつつ、 涙ぐまれた。 ▼桃史をはじめ、 戦争で命を落とした文学青年の悲しみを思う。(Y)