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切り抜き詳細
発行日時
2017-10-26 9:23
見出し
衆院選
リンクURL
http://tanba.jp/modules/column/index.php?page=article&storyid=5153
記事詳細
解散前とあまり変わらない総選挙結果だった。小池都知事に民進党がなびいた希望の党は「政権交代」を叫んだのに失速し、“排除”された人らの立憲民主が野党第1党に。苦戦を予想されていた自民は野党の分裂で息を吹き返した。 さて75年前の昭和17年、「大東亜戦争完遂」の旗印のもとに行われた総選挙では、全ての政党が解散し、「大政翼賛会」に結集。定数いっぱいの466人の推薦候補を立て、潤沢な選挙資金を支給する一方、推薦を受けなかった候補は官憲から露骨な妨害を受けた。 その中で、反軍演説で国会を除名されていた兵庫5区(但馬・丹波)の斎藤隆夫は特高警察につきまとわれながら、推薦候補を大きく引き離してトップ当選(当時は中選挙区)。斎藤除名に数少ない反対票を投じた柏原中OBの芦田均も非推薦で、福知山など京都2区(当時)で勝った。 「翼賛選挙」に抗った非推薦の当選者85人の中には斎藤、芦田のほか尾崎行雄、鳩山一郎、三木武夫、河野一郎、西尾末広ら戦後の政界を担う人たちが多数いた。 巨大与党に対峙すべき野党の再編が、無所属で当選した議員も巻き込みどう展開するか、目が離せないが、いつの時代でも、国民は決して耳触りの良い言葉だけに心を動かされるのではない、ということを肝に銘じていてほしい。(E)