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切り抜き詳細
発行日時
2017-3-12 18:00
見出し
鎮魂の日
リンクURL
http://tanba.jp/modules/column/index.php?page=article&storyid=4930
記事詳細
昨日は東日本大震災から丸六年目の日だった。こういう災害のあった日を記念日という言い方はあまり好きでない。個人的にはその三週間前に次女の婿が亡くなった。家族中が心労でずたずたになり、何とか支え合っていたとき、大震災が起きた。不謹慎だが「この災害を目の当たりにしていたら、彼も生きようとしたのでは」という想いで胸がいっぱいになり苦しかった。 時間の経過は有難く、当時小学四年生だった孫も高校生になり、先日、七回忌のお詣りをした。背は一七六センチを越え「パパがいたら、抜かされたって悔しがるよね」などと笑って言えるようになった。この年は五月に母と姑が倒れ、七月に相次いで亡くなった。私にとっても喪失の年だった。しかし、愛する人が行方不明のままという状態ほど切ないことはない。しかも、震災に遭った人々のその後を伝える記事は確実に減っている。政治家たちは選挙の時だけお決まりのように震災復興を口にする。最近では東京都知事が、オリンピックの競技を宮城県にという案で動いたが、立ち消えになってしまった。 二月二十日付の朝日新聞の俳壇に〈福島に終点あらず寒ざらし〉。歌壇に〈六年目原乳出荷許されし牛飼の目の奥にある奥〉、〈天気予報の後に線量測定値流れています六年目の今も〉が載った。ニュースに流れないと忘れてしまいがちな現実が今も続いている。鎮魂の日だけではなく、同じ列島に住む者としていつも忘れないでいなくては。それが同時代に生きる者のせめてもの鎮魂ではなかろうか。