HOME
お知らせ
日々のこと
家づくり
農耕生活
食べもん
モノづくり
暮らし
地域づくり・人づくり
丹波のニュース
管理者コラム
お問い合わせ
オンライン状況
34 人のユーザが現在オンラインです。 (8 人のユーザが 丹波のニュース を参照しています。)
パソコンとスマートフォンのウィルス対策大丈夫ですか?
あっぷ丹波がお奨めするウィルス対策ソフトはこちら
今なら1台あたり年額約450円から
さらにさらに期間限定で
1台あたり年317円!!
切り抜き詳細
発行日時
2016-11-27 18:00
見出し
大槻先生
リンクURL
http://tanba.jp/modules/column/index.php?page=article&storyid=4825
記事詳細
平成九年、大槻隆先生が亡くなられたとき、「ありがとう大槻先生」という拙文を本欄に書いた。その六年後、先生の甥の谷口氏が先生の書簡などを編集されて書かれた「叔父大槻隆追悼記」についても書かせてもらった。 今月六日付けの本紙一面の記事を読んで、大槻先生の生きられた時代とその苦悩について、再び考えさせられた。大槻先生は一九二二年生まれ、いまもし健在ならば九十四歳、あの戦争の時代の波にまともに揉まれた世代でもある。当時としては最良の生き方でも、敗戦国になった途端、すべてはマイナスの結果と罪に問われてしまう。最も身にしみることは、私たち団塊の世代を教えることに、ありったけの情熱を注いで下さったという感謝の想いだ。「お前らアは、ほんまにさんこなもんや」というのが口癖だった先生。それは、自分たちの青春時代と比べて、如何に自由であるか、それだけに良く生きて欲しいという願いが込められた言葉であったと、今にして思う。そんな先生の想いに応えられたかと思うと、忸たる思いで申し訳ない気がしてならない。先生の人文地理の授業の迫力は独特で、教えられたことは今も脳裏に焼き付いていて役立つことも多い。教師になられてからは、自分の知識を後輩に伝えることに力を注がれた。 県立柏原高校の入り口にある立派な柏陵会館の建設にも尽力された。来年は先生が亡くなられて二十年になる。今年、来年と古稀を迎えるさんこな同級生たちが集まって、墓前に感謝を捧げるのも供養かなと思う。