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切り抜き詳細
発行日時
2016-4-21 8:28
見出し
地面が揺れたときのこと
リンクURL
http://tanba.jp/modules/column/index.php?page=article&storyid=4608
記事詳細
あの阪神淡路大震災の揺れを私は大阪の団地で経験した。古い団地で築40年~50年は経っていただろう。6畳間に夫、私、3歳と0歳の娘、4人で枕を並べて寝ていた。1995年1月17日の明け方、突然今まで経験したことのないほどの激しい揺れに跳び起き、茫然自失のまま、娘に覆い被さる夫を意識の端で眺めていた。 私は関西に比べて地震が日常的な関東で育ち、地震の揺れには慣れているはずだった。小学校の頃から、防災訓練で頭に防災ずきんをかぶり、机の下に隠れたり避難したりと毎年のように経験し、いつ関東大震災のような地震が来るかわからないから、いつでも心づもりをと言われていたので、ひとり家で地震に遭っても逃げ道を確保するためにとっさに玄関を開けに行く習慣が付いていた。地震が続いた日などは、登校で家を出る時、今度無事にお父さんお母さんの顔が見られるだろうかと、とても心細くなったものだった。だから地震には慣れていると思い込んでいた。実際には夫が子どもをかばい、私は家族のために玄関のドアを開けることさえできなかった。 30年ほど前、余るほど時間だけは持っていた頃に、青春18切符でのんびりと九州をまわった。息苦しくなるほど濃密な緑と、抜けるようなあっけらかんとした暑さと、人々の開けっぴろげで大きな笑顔と優しさに恵まれた、良い旅だった。あの美しい自然は、あの優しい人たちはどうしただろうかと、今はそればかり考えている。 (土性里花・グループPEN代表)