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切り抜き詳細
発行日時
2016-3-13 8:22
見出し
菜の花びより
リンクURL
http://tanba.jp/modules/column/index.php?page=article&storyid=4571
記事詳細
丹波での句会の前日、関西在住の友人の案内で、東大阪市にある司馬遼太郎記念館に立ち寄った。今年は司馬氏が亡くなって丁度二十年。その忌日は著書「菜の花の沖」にちなんで「菜の花忌」と称され、俳句の季語にもなっている。 この日、降り立った近鉄八戸の里駅前には、プランターに植えられた菜の花が満開。この地の小中高校、自治体から会社などが、一年かけて育てた菜の花が記念館まで続いていて、とてもあたたかな気持ちになる。 司馬さんは一九二三年(大正十二年)、大阪生まれ、大阪外国語学校蒙古語部卒業。新聞記者をしつつ書きあげた「梟の城」で直木賞を受賞。西郷隆盛や坂本龍馬などを代表とする歴史の変革期を生き抜いた人を主人公とする小説や、日本の地方ならではの暮らしや民衆の気質などをたどるエッセイを数多く残し、一九九六年(平成十年)、七十三歳で亡くなった。 東大阪市小坂(旧布施市)の住宅地の司馬氏の住居に隣接して建てられた記念館は安藤忠雄氏の設計、二万冊の蔵書が壁を埋める展示室とホール、コーヒーの飲めるロビーなど、とてもいい雰囲気。周囲には氏の好んだ季節ごとの樹木が芽吹きの時を迎えている。執筆していた書斎も硝子戸越に見える。 戦争体験もある氏は、常に日本人とは何者なのか、この国は何処へ行こうとしているのかを問い続け、書き続けた。もう少し生きて、混迷の時代を導いて欲しかった。 司馬遼太郎氏の生地を誇りにする町の心意気にも触れ、菜の花びよりの一日だった。