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切り抜き詳細
発行日時
2015-5-21 8:36
見出し
GHQとの文書現存 当時の校長が資料残す 篠山鳳鳴高校
リンクURL
http://tanba.jp/modules/topics/index.php?page=article&storyid=8836
記事詳細
篠山鳳鳴高校に、 終戦後、 前身の旧制鳳鳴中学校長と連合国総司令部 (GHQ) などとの間で取り交わされた文書をまとめた 「聯合國 (れんごうこく) 最高司令部関係文書綴」 が残っている。 文書からは、 GHQが所蔵書籍などの徹底した調査と廃棄などを迫っており、 戦時中、 多くの軍人を輩出した同校が、 「軍国的要素の象徴」 として見られていたことがうかがえる。 一方で、 廃棄したはずの書籍が現存しており、 校長が虚偽の報告を行った可能性も。 当時の校長は、 回想記の中で、 「鳳鳴立学の精神の顕現こそ、 国民を護り、 国を救う道だと堅く信じていた。 (中略) 敗戦日本にこそ、 (中略) 朝に夕にすべては鳳鳴精神を基として再出発した」 と記しており、 長い伝統を守るため、 信念を持って、 GHQとのやりとりを行っていたとみられる。 資料は、 現・校長の明山修さんが、 10数年前に同校で発見。 資料の精査を行い、 昨年になって論文にまとめた。 資料や論文によると、 司馬遼太郎が、 「戦前、 全国でもっとも多くの将官を出した旧制中学」 と記しているように、 卒業生には、 満州事変時の関東軍司令官・本庄繁や陸軍大将・本郷房太郎らがいる。 大正期には激減するものの、 明治18―24年では卒業生の71・4%が軍学校に進学している。 1945年 (昭和20) にポツダム宣言の受託で無条件降伏した日本は、 連合国の占領下におかれた。 GHQは教育政策を行い、 軍国主義と超国家主義の排除の波は、 多くの軍人を輩出した同校にも及んだ。 同年11月、 陸軍大将になっていた本庄に戦争指導者として逮捕令がおりたこともあって、 翌年、 兵庫県民生活部長を経由して、 GHQは、 軍国的要素を伝える教職員の罷免や学校内に置かれた軍需関連工場の撤去、 授業に使用する地図で占領地などを示すものの廃棄などを通達。 また、 「軍国主義的外観並びに内容を持てる額、 掛物、 諸教材、 写真および図書を焼却」 と迫った。 明山校長によると、 通達は県内の全校を対象にしたものか、 鳳鳴だけを対象にしたものかはわからないという。 当時の奥山雄藏校長は、 GHQからの指令に応え、 対応に腐心。 さまざまな課題解決に奔走したことが 「聯合國最高司令部関係文書綴」 に記されている。 一方で、 「軍国主義的色彩のあるもの撤去、 処分済みであります」 と報告しているものの、 皇族下賜の御染筆 「勤倹尚武」 や 「質実剛健」 をはじめ、 本庄の胸像、 中国の鉄道地図など、 数多くの資料が鳳鳴高校に現存していることから、 虚偽の報告を行っていたと考えらえる。 もし虚偽の報告が発覚した場合、 罷免のみならず、 身の危険もあった可能性が高い。 資料を残したことに関して何も語っていなかったとみられる奥山校長は、 56年に出された同校の 「創立八十周年記念誌」 に回想を寄稿しており、 「鳳鳴精神、 すなわち、 勤倹尚武の真髄は、公共、愛国の精神であり、 真の貢献と業績を顕現する道である」 「鳳鳴たるもの、その伝統精神を時代精神に生かし、 信義と公正の誠に生き、 国民の福祉と発展、 国際信義の向上に貢献するところがなければならない」 と記している。 明山校長は、 「奥山校長はかなり苦悩したと思われるが、 いつか資料が日の目を見る10年、 20年先を見越していたのでは」 とし、 「これらの資料がなぜ、 鳳鳴に残されているかという歴史的意義を考えていきたい。 今年は終戦から70年。 そして、 来年は鳳鳴創立から140年。 ちょうど中間に立ち、 敗戦後の教育転換点において伝統をつないだ奥山校長は、 教育や自身に対する信念があり、 軍国主義ではなく、 国を愛し、 鳳鳴を誇りに思っていたのではないか」 と話している。