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切り抜き詳細
発行日時
2015-5-14 8:53
見出し
プロ野球
リンクURL
http://tanba.jp/modules/column/index.php?page=article&storyid=4247
記事詳細
筆者が小学生だった昭和29年、 高橋ユニオンズという大変弱いプロ野球チームが現れた。 南海、 西鉄の全盛時代。 あまりの弱さにファンでないのに気になって仕方なかった。 ▼パリーグをセに対抗するため8球団に増やそうと発足したのだが、 寄せ集めの選手ばかりで10連敗、 12連敗を繰り返し、 31年まで3年間で146勝281敗8分という惨憺たる成績を残し、32年のシーズン開幕前に解散した。 ▼1対17のスコアや1イニング7四球といった不名誉な記録を出し、 老兵スタルヒンの通算300勝達成、 また3年目に六大学のスター、 佐々木信也が入団し奮闘したことぐらいが明るい話題だった。▼「最弱球団高橋ユニオンズ青春記」の著者、長谷川晶一はしかし、「『最弱』だったが『最低』ではなかった」 と評する。 サヨナラエラーをした佐々木がその場でうずくまっていると、 ナインが 「気にするな」 とベンチまで肩を抱いて連れ帰ってくれた。 「良いチームだな」 と感激したが、 ニュースキャスターになった後年、 「だから弱かったんだ」 と気付く。 ▼柏原高卒のプロ入り第1号、 西本道則もテスト合格で32年に入団が決まっていたが、 チームの消滅で吸収合併先の大映に移籍。 1年だけいて3勝を挙げた。 ▼今シーズンは両リーグ白熱の混戦。 ずっと負け組だったDeNAに喝采を送る。(E)