大人になってから社会見学に行くと、小学校のときには全然わからなかったことに、沢山気付けることがあります。そういう意味では、小学校のときの社会見学というのは、大人になってから「ああ、そういえば行ったことあるなー、確か・・・」くらいのもんで、本質的な意味の理解にまで踏み込めているのかというと、そうでもない気がしないでもないです。
「いやいやー、小学生にそこまでの理解を求めても、ねえ?」
ふむ、確かに・・・。とすれば、小学校のときに社会見学に行く意味なんかあるのか、ということです(笑)そんな風に思うのは、よっぽど小学校のときに真剣に社会見学に参加していなかった自分を守ろうとする、しょーもない人間の戯言なのかもしれませんが、とにかく大人になってからの社会見学というのは面白いのです。
産業建設常任委員会では、道路とか、水道とか、河川や山林や畑など、土地に関わる様々なことを審議しています。ビジネスをベースに社会人でキャリアをつくってきた僕なので、商業系であれば役立つ知識もあろうかと思って、産業建設常任委員会でお仕事をさせてもらえるように会派の中で割り当ててもらいました。
しかしやってみると、5分の1くらいしか商業的なことというのはなく、予算規模でいくと、どうでしょうか。20分の1くらいのイメージで感じるほど、商業面の規模はそれほど大きいものではなくて、インフラの整備が何より大切なものであることが分かってきます。大体僕の人生におけるチョイスは、非常に浅慮で選択したものが、あとになって思いのほか非常に大切なポイントを幸運にも選んでいるというのがパターンになっておりまして、本人からすると「ああ、またこのパターンだな」くらいのことで大して驚くこともありません。運がいいのです。
まあしかし、水道も奥が深い。今のところ、とにかく市水道の整備について、明確な答えを持つことが出来ないでいます。まあ、ちょいと齧ったくらいの情報収集を1年のうち少しだけ行ったくらいで、毎日何十年もかけてきた水道のことをやり続けている方がド真剣に議論してきているものに、簡単に知識的には追いつきません。だからこそ、分かっている人から勉強させてもらうことがとても大事なことです。
今のところ、感じているのはこんなこと。
他の施設と同様、水道設備の整備の歴史もまた、高度経済成長依存の体制によって作り上げられてきた、極めて稀なほど恵まれた世界観で構築されたものである。そのため、このレベルの水道設備を未来永劫にわたって整備し続けるとすれば、市民には大きな負担を強いらざるを得ないほど、これまでは国内産業の繁栄に支えられたものであったといえる。ひとつの解としては「負担は小さく、設備は素晴らしく、というわけにはいかない」ということであり、これについては早々に多くの市民が理解をし、受け止めなければならない事実である。
とまあ、こんな風に思い、さらにこんな風に思います。
誰が悪いとは言いませんが、今のような構造を維持し続けていくには、今後もより一層の国際的な格差を無視して「ノーマライゼーションなど知ったことか「、というくらいに各国を隷属的に扱わなくてはいけませんが、国際社会の潮流としてはそんなことは実現不可能だと思います。
いろいろあるけど、やっぱり我慢が利かない社会じゃいけねえなって思うなあ。