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切り抜き詳細
発行日時
2013-4-9 9:42
見出し
井伊直弼の続きです。
リンクURL
http://www.hnpo.comsapo.net/weblog/myblog/620/47556#47556
記事詳細
井伊直弼の続きです。 反対派を容赦なく弾圧したその政治姿勢から、「井伊の赤鬼」とも恐れられた井伊直弼は、1815(文化12)年に譜代大名の筆頭・井伊家の14男として生まれた。 兄弟が多かったこともあって、32歳になるまでは部屋住みとして生活していた直弼だが、国学を学ぶかたわら、和歌や鼓、槍術、砲術など多岐にわたる分野で際立った才を見せ、茶においては一派を確立するほどであった。 1850(嘉永3)年に兄たちの死をうけ家督を継ぎ、彦根藩15代藩主として幕末の表舞台に立つことになった。 以降の直弼は、藩内においては積極的に藩政改革を行う一方、将軍継嗣問題や黒船問題といった幕末期の混乱の中で、重要事に関し幕閣に諮問を受ける溜間詰上席として国政に携わっていった。 やがて政界における主導権争いが激化すると、外交政策などをめぐり水戸藩主・徳川斉昭(1800~1860)らと激しく対立。老中首座であった阿部正弘(1819~1857)が死去すると、直弼は将軍の補佐役である大老に就任する。 桜田門外之変図(茨城県立図書館 提供) 「桜田門外の変」発生以前から、井伊家には警護を増員す...