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切り抜き詳細

発行日時
2013-4-6 12:04
見出し
第20回 大久保忠教(1560~1639)
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記事詳細
第20回 大久保忠教(1560~1639)   日本人と鰹の関わりは古く、縄文時代の貝塚からも鰹の骨が発見されている。その鰹からつくられる鰹節もまた、貴重なタンパク源として古くから私たち日本人の食を支えてきた。  その鰹節と関連が深い人物が、江戸初期の旗本で「天下のご意見番」とも称される大久保忠教(1560~1639)である。講談では、通称の彦左衛門の名で親しまれ、3代将軍・家光にたびたび諫言をしたり、旗本以下の輿(こし)の使用が禁止された際には大だらいに乗って登城したりと、数々の逸話が語られている。  その彦左衛門は晩年、徳川家とそれに仕えた大久保家の歴史をまとめ、自著『三河物語』に書き記した。そこでは、当時の武士の生活や食文化について記述がされており、彼が鰹節をことのほか重用していたことがわかる。  今回は、三河(現在の愛知県)武士・大久保彦左衛門の生涯を通して、鰹節と日本人の食生活がどのように関わってきたのかを見ていきたい。 大久保彦左衛門肖像(長福寺 提供)  三河の戦国大名・徳川家康(1543~1616)に仕える武家の八男として三河に生まれた彦左...