人間それぞれ、いつか絶対に死にます。
どんな人生が良かったか、はその人が決めることが出来ます。
だから、自分がどう生きていたいかがハッキリしていて、その方向に
まっすぐ生きていられる人は、とても幸せな人生だよなと思うのです。
人間が生きている意味があると考える人もいれば、人間が生きている
意味があるかが分からない人もいます。僕は意味はないと思う方です。
だけど、嬉しい気持ちや悲しい気持ちがあり、僕は命を感じます。
そして新しい発見や、感情が動くことを日々楽しんで生きています。
どうやって人生をもっと味わおうかとワクワクして楽しんでいます。
その中で、「これがしたい、あれがしたい」と思うことは、自然な
ことですし、いろんな折り合いをつけたとしても、夢に向き合って
確実に一歩踏み出せば、何かが変わることを経験しています。
少し話は変わって、昨日の話。
昨日は、たまたま大学生の人から、いろいろな質問を受ける機会を
頂きましたが、質問される内容からの着地点が見えてこないので、
彼らに何を答えてあげたら良いのか、なかなかの迷子っぷりでした。
いろんな場面で、質問がすごい唐突なことってあると思うんです。
「ん?まー答えるけど、それって何のために聞いてるの?」
そういう風に思う質問があったときに、昨日はあえてそこまでを
聞きゃしなかったわけですが、でもやっぱり気になる。。。
結局は単位を取るためとか、教授の評価を得るとか、そのときに
「なかなか鋭い質問してるな」と周りにいる人に思ってもらうとか、
若い大学生なので、まあそういうことってあっても仕方ないけど、
それって表面的だよなあと。
質問ひとつで、そのひとが大切にしているものが、
ざっくりと見えてくるよなあと、そんな風に思ったのでした。
それはさておき。
そんなお話の中で、ぼんやりと彼らから「いつか出来たら良いな」
という姿勢で人生に向き合ってそうな雰囲気を感じたりしたので、
「いつかと言わずに、今日からやれば?」という話をしました。
生きていて、僕のような顔面でかつ配慮のない生き方をしていると
予想に違わず、告白して玉砕することも多々経験しているのですが。
誰かを好きになったとして、彼女か自分が死んだら、僕はとても
後悔しちゃうだろうなと思って、すぐに気持ちを伝えておきたい
と思うようになって、最初の玉砕が始まったと記憶しています。
玉砕は痛いものですが、流れた涙は拭けばいいじゃないかという
気持ちで、あとはスッキリするもので、意外と耐えられる痛みと
分かってから、迷いなく玉砕覚悟で飛び込めるようになりました。
それに誰かに好きだと言ってもらって、嫌な気持ちになる人も
そうそういるまい、と思って思い切って踏み出せるようにもなり
恥ずかしい想いもあるけど、後悔するよりはマシという考えです。
押し付けることはしませんが、後悔をして嬉しそうにしている
自虐的なヒロイズムに浸りたい人は別として、基本的には誰もが
今の自分を肯定出来るような生き方をしていきたいと願っている
ように思うのは、別に気のせいじゃないと思うわけです。
一方で、「やった失敗とやらなかった失敗は・・・」という言葉は
一度くらいは聞いたことがあると思うのですが、結局やらなかった
ことや、実際に体験しなかったこと、逃した魚は大きいという言葉
がありますが、実際に確かめなかったことによって生まれた不足感
というのは、すごく心に残り、長くくすぶることが多いようです。
いつかやりたいものがあるなら、仮にゴールを決めて走り出して
そこから逆算する。そうすると、あとどれだけの時間の中で、
何をやらないと実現が出来ないかをさっさと試算し始めてしまう。
そしてやればやるほど、また新たな展開が見えてくると思います。
今は、びっくりするくらいのスピード社会なので、何が起こって、
ある日に自分の人生が激しく輝き出してしまうか分かりません。
小さく始めた自分の夢が、いきなり面白い取り上げられ方をして
自分の人生が大きく変わっていくこともあり得る話です。
2年ちょっと前に丹波に来て、議員になるとか思ってもないし。
リアルにもヴァーチャルにも、何が起こるか分からない世の中。
夢があるなら、もう始めてしまえばいいんじゃないの、と。
別に叶わないなんて誰も言ってないのに、勝手に叶わないなんて
決めつけてたら、チャンスが勿体ないよなと思うのです。
うわ、自己啓発本に書いてある文章みたいになった(汗)
文章とは、いやはや難しいものです。
でも長生き出来るなんて、誰も保証してないんだからさ〜。
そういう気持ち分かる人いません?