7月11日、
那覇市真地の高台に識名霊園という大きな霊園がある。
その霊園の東側にシッポウジヌガマと呼ばれる壕がある。
戦時中、島田叡知事や荒井退造県警部長と共に、県庁職員、
警察部職員が非難し、戦時中最後の執務を行った防空壕で、
県庁壕と呼ばれている。
1945年4月27日、雨のように砲弾が降り注ぐ中、
県下17市町村長が集合し、この県庁壕で会議が開かれる。
「これから沖縄南部に住民を避難させる、市町村長は是非
住民のための食料と住居を確保してほしい」
島田知事の沖縄住民を思う気持ちがこの要請に滲み出ている。
壕の入り口は高さ1,5m、幅1mくらいだが、
下に降りると、100平方mくらいの広い空間となる。
中央に大きな鍾乳石があり、
奥深くまで一人が通れるくらいの通路が続く。
内部にはカマドや井戸なども見つかっている。
この県庁壕は現在「島守の会」(県庁OBが中心となっている)が
管理されて、一般公開はされていない。
島守の会では、いろんな情報を集めて、島田知事の遺骨を
発見しようと努力しておられる。