1月17日、
もう24年も経つんですねえ、
あの日はホントに辛く悲しい日でした。
平成7年1月16日、
義父の葬式を和歌山市内で終えて、
翌日の学校があるからと、
家内を和歌山の実家に残して
子供達2人と丹波に帰った。
その翌日5時46分、
丹波でも震度4の強烈な地震、
3割の売り上げを上げさせていただいてる
大得意先が東灘区本庄町にあり、
大きな被害を遭われたので、
翌日18日から
水とラーメンとガソリンを持って
東灘区に入り、丸一日救援に奔走した。
約4ヶ月売り上げがストップし、
被災地も大変だったが、
我が社もホントに辛かった、
もう少しで連鎖倒産の憂き目に
遭うところだった。
そんな事あんな事を思い出して、
いつも通りウルウルの涙目で
『しあわせはこべるように』を
聞かせていただきました
阪神淡路大震災1.17のつどいIN HAT神戸