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切り抜き詳細
発行日時
2013-1-30 19:05
見出し
老子と少年_08
リンクURL
http://comidasentamba.blogspot.com/2013/01/08.html
記事詳細
「自分」とは、「誰が」の問いに対する答えになるような何者かではない。それは、「人間」と呼ばれるあるものが、存在するときに必要な器にすぎない。そのようにしか生きることが出来ない形にすぎない。そして、「自分」という形で生きざるを得ない存在を「人間」と呼ぶに過ぎない。
あるということも、生きるということも、今ということも、ここということも、この世界がこのようであるということも、"自分"という形でしかこの世には訪れない。だが、眼を開け。それは、あるだけであり、生きるだけであり、今だけであり、ここだけであり、世界であるだけだ。"自分"ではない。
友よ、耐えるのだ。そのようにしか生は我々にやって来ない。「自分は自分ではない」、ならば「自分」を作らなければならない。水を飲む器を作らなければならない。人が生きるとはそのことだ。人が水を飲むとはそういうことだ。その重荷を引き受ける。生きることが尊いのではない。生きることを引き受けることが尊いのだ。
どうして?
引き受けなくてもいいからだ。
「老師と少年」 南直哉