岸下建設㈱が、日頃お世話になっています浄土真宗の地元のお寺様。教念寺の檀家様(正式には門徒様)の研修旅行にお誘いいただき、勉強を兼ねて参加させていただきました。
行先は、岐阜の白川郷~福井の吉崎御坊というコースです。
実は2年前にも白川郷には行っているのですが、あらためて訪れますと、また勉強になる発見がたくさんありました。
まず訪れたのが浄土真宗のお寺「明善寺」。260年前に建てられた本堂や鐘楼の門は重要文化財にも指定されている文化価値の高い建築物です。
百数十年もの煤が光り輝いています。
また、5階建て合掌作りは、釘、カスガイ等を使わず、クサビの他は「ネソ」(マンサクの若木)「わら縄」で締めくくった特殊なもので茅葺の切り妻屋根は雪を落とすために60度近い勾配になっています。ブルーノ・タウトというドイツ人の高名な建築家(日本にも一時在住)が「きわめて論理的・合理的構造で日本では全く例外に属する」と称賛したと聞いています。
今回は、神田家という集落でも大きく歴史のあるお宅と、つい最近屋根をふき替えられて、白川郷にある大きなトチの木を中心とした木彫りを展示しておられる「美然ゆめろむ館」というお宅を訪ねてみました。
この合理的な駒尻の方法は、当地方の民家のサスとしても利用されています。
これは、勅使の古民家の写真です。構造は同じですね。
このトチの木は人が十分にくぐれるものです。
見事なものばかりです。色の赤らんだ木はケヤキのようです。
すごく幅広の部屋一杯の板材です。
夜は、高山市に一泊。朝市を見学し、金沢兼六園を経由して、福井の「吉崎御坊」へ。
高山の朝市は陣屋跡でもやっておりました。
高山祭の山車の保管場所のようです。
いたるところにお祭りの衣装姿の像が立っています。
この吉崎御坊、なんとなく名称は聞いておりましたが、今回の浄土真宗のお寺の方々とでなければ、中々訪れることのない名跡なのかもしれません。
この地は、浄土真宗本願寺の8代法主であります「蓮如」上人が1471年ごろ、比叡山延暦寺などの迫害をのがれて、北陸の布教の拠点とした場所です。その後、戦国の動乱や消失により坊舎は無くなりますが、1746,7年ごろに、西別院(本願寺派)、東別院(大谷派)がともに建立し、今に至っているようで、多くの逸話があるようです。これは、「吉崎御坊三大奇瑞(きずい)」といわれ、「嫁威(よめおど)し肉(にく)附(づ)きの面」、「焼け残りの名号」「腹籠(はらごも)りの聖教(しょうぎょう)」といったお話を聞かせていただきました。
勉強になった二日間でした。