野山にはまだ雪が残る二月の下旬。ウチの次男の周辺ではやれ下宿探しだ、入学準備だとにわかに慌ただしくなってきた。
慌ただしくといえば、我が家の財政も相当緊迫してきている。入学金、アパートの手付金、家電や家具の購入代金など、お札に羽が生えたように飛んでいくのだから。
ところで、入学式にはスーツなんて誰が決めたか知らないが、息子も例に倣ってスーツを新調した。
ネクタイの結び方を教える・・・。
二人並んで立ち、小剣に大剣を重ねて持ち、ぐるっと巻いて・・・。息子にネクタイのノットを教えるのもいいもんだと思いながら、30年前(正確には29年前)の記憶を辿っていた。ワタシもちょうど今頃の季節に、父からネクタイの結び方の手ほどきを受けたんだ。確か、えんじ色の小紋柄だった。
この時のこみ上げる父親の心証というものを、ワタシは今、はっきりと感じている。
二日前、次男とは「恩返し」とか「親孝行」について話し合っていた。親孝行なんて、出来てると思えばそうだろうし、まだまだだと思えばそれもそうだろう。
どうも次男は自分の環境が急激に変わる様子を、その為にかなりのお金がかかることに一種の申し訳なさを感じていたようだ。
「俺が父に親孝行かもなと感じたのは親が亡くなる一年前、車イスを押しながら散歩している時やった。"ありがとう"って、親父は声を震わせたんや」
それがいいとかは別として、焦らなくてもいいのだと・・・。
時計の針は12時を回っていたが、次男は黙ったまま、何度もうなずいていた。
ネクタイのノットはダブルノット。ワタシが父から教わったのはウィンザーノット。時代が変わり結び方の流行は変わっても、親子の気持ちに微塵も違いはない。
「うん、これで結べると思う(^_^)/」
息子は大きくなったし立派になった。それ以上に望むものはないけど、もしも叶うなら、息子が乗る車の助手席に座り、ドライブでもできればそれで十分幸せなんじゃないだろうか?
親孝行なんてそんなものだと思うんだけど、皆さん、どうですか?