フクシマのレポートがたいへん遅くなりました、すみません。。
去る6月28・29日、商工会異業種交流会「プラザひょうたん」から福島県いわき市へ震災後の状況を視察してきました。
福島空港 9:45 着
いわき市商工会議所にてユーサイドシステム・佐久間社長よりレクチャーを受ける。
震災後、市民の生活ぶりの変化。被災意識。避難民や作業員と、地元住民との軋轢など。
日の当たらないアンダーグランドな世界では、住民のモラルが低下し今後のフクシマ再建に重くのしかかっている事実。
例えば避難のために引っ越しを余儀なくされた場合に支給される家電品や日用品のセット。ここに目をつけた学生がいて、何度も引越しを繰り返し、闇で支給品を売りさばいていること。
漁師からは通常の5分の1で安く買い叩き、(損害のかなりの部分は補償を受けられる)市場には通常価格で卸す不埒至極の仲買人が存在すること。
もともと再開の意思のない事業主が保証金目当てで利権にぶら下がっている社会構造的な問題。
これら保証金ビジネスと言っても過言ではないが、やがては自分たちの子や孫の首を絞めるようなものなのだが、いっこうに後を絶たないという。
他方、フクシマの経済復興の障害となるものはもちろん「原発問題」だが、これに端を発した風評被害もまた暗い影を落としている。
原発事故の直後に政府や東電の見解が二転三転し、国民に不信感を植え付けたことが元凶だ。安全と言われてもまったくもって信用できない風潮を蔓延させてしまった・・・と、ここまでは確かにそうなのだが、あえて今こそ情報の信頼性を取り戻すことに尽力しなければいけない。
小名浜漁協の言葉を借りるなら「本当に安全を確認できたものしか流通させていません」ということである。かつて漁船は獲れ立ての魚介類で満艦飾だった。それが今はわずかにイカ、タコ、カツオなどの数種の水揚げに限られている。ここで規律を緩めて未確認のサカナを市場へ出してしまえば、それこそもう二度と大漁旗をはためかせる時代は来ないだろうと決死の覚悟なのだ。
心温まる話にも出会えた。
新谷尚美さん。いわき市四倉で食堂を営み、四倉ふれあい市民会議の副会長でもある。丹波市青垣町の出身で、被災後、一時的に郷里で避難生活を送ったが、いちはやくいわき市へ戻り飲食店兼オンラインショップ兼情報ステーションを立ち上げた。
湾岸道路で、付近はコンクリート基礎がむき出しの住宅跡が列を成しているロケーションだ。
そこに忽然と「食処 くさの根」は建っている。折からの高気圧で空は高く青く澄んでおり、海との間に「くさの根」は復興のシンボルのように光って見えたものだ。
ここでご馳走になったカツオの刺身定食の美味なことといったら・・・。
「フクシマは元気ですよ」・・・とは新谷さん。地元に帰ったらそう伝えて欲しいとの思いに胸が焦がれそうだ。
フクシマで目にしたこと、耳にしたこと。私たちに出来るのは事実を感じたまま素直に伝えること、今ははっきりそう言える。
復興の道はみんなの温かい力によって切り開かれることをツアーを通じて目の当たりにした。私たち一人一人はほんの微力でも、復興の一助となるべく心底願いフクシマを後にしたのである。
お世話になったフクシマのみなさん、ありがとうございました。私たちも遠く丹波から応援しています。