ある期間キヨシと呼ばれていた、あーです。
ごく一部だし、当時呼んでた人たちも、今じゃ普通に呼んでる。笑
本名はキヨシじゃないんですが、誰かの呼び間違えからキヨシに。
で、その頃、別件でこのブログを立ち上げたので、URLの一部にキヨシが入ってたりします。笑
で、今日は、日中どーーーんと、計画ほぼ一通りしました。
建築作品はさらっとですが。
そんな中で、イケベキヨシ(池辺陽)を。
!! 今、イケベキヨシを変換してたら自分の名前の漢字も出てきて
あながち読み間違えでもなかったことに驚きました!!笑
そして、画像処理(トリミングだけやけど)してたら、
断面の書斎のところに、人影が!!笑
ということで、試験に出ないであろう、「立体最小限住宅」じょうほうー。
・竣工:1950 年 もう69歳。。。
・床面積:47 平方メートル(14 坪)
・外観はバラック建築風、当時調達可能だった住宅資材が分かる
・名前通り「最小限」を「立体的」に解決しようとした試み
・外観を気にせず内部の生活に集中
「生活が空間を要求する。また空間の分離も要求する」
・二階建てというより中二階建て。狙いは一室空間の中にできるだけ多様な領域をつくることにあった
・14 坪の狭小空間の中で「椅子・ベッド式生活」を試みた
・面積縮小のため75 cmモジュールを採用
・玄関なし、ドアを開けたら目の前が食卓
・下駄箱らしきものがあるから靴は外で着脱した模様
・吹抜けで居間を2 階と連続させ狭小感をやわらげている
・寝室ゾーンを2 階に置きプライバシーを守る
・夫婦別寝室。夫の寝室は書斎(仕事部屋)を兼ねている
・妻の寝室の幅は1.5m、ベッドは造り付
・階段幅は75cm(有効幅は約60 cm)
・子供のプライバシーは無視、子供室を通って便所・浴室へ入る
・この面積でも風呂がある!外焚き釜とサービスエリアにも注目
・小さいけれど必要なものは全てある軽自動車的住宅おもしろいなあ。「
子どものプライバシーは無視」て。笑
でも、案外、今の核家族でも、これくらい密なエリアで生活するのもありなのかなあ、と
約70年前のおじいちゃんハウスに思う。笑
でも、70年後の試験勉強に出てきてるとはおもってないやろなー、池辺のキヨシさん。
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増沢洵邸(1952年)は,戦後の極限的小住宅の先駆けとなった事例であり,1階の鉄筋コンクリート造のコアの上の木造部分に,最小限必要な要素を収めた住宅である
ちなみに、
増沢洵自邸(1952)は、吹抜けを全面開口として、
その南面から障子を透かして柔らかな光を室内に落としこむ、
1.5×1間を構成の単位とした2階建ての木造住宅である。
池辺陽による「立体最小限住宅」とともに、
戦後の極限的小住宅の先駆けとなった歴史的事例みたい。
「
9坪ハウス」なんだって。
建築面積が9坪で、延床は15坪。
どうやら、スケルトン・インフィルの要素もあるみたい。
さすが、ここまで残る建築家はかしこいなああ。
そして、とっても素敵だった。