昨日、高校生との勉強会?でふと自分がどのようにして社会へ出たか?思い出してみた。
それと中学校の同級会も最近あり当時を振り返る気分にもなっていた。
当時の私の父は養父で忠さんといいます。
もう忠さんは亡くなってしまいましたが忠さんは私を医者にしたいといってました。しかし、実際はそのようなことになる実態はありませんでした。貧乏でしたし、彼から愛情も感じませんでした。
ということで早く家を出て自力で生活したい一心で工業高校へ入りました。
勉強は好きではありませんでしたが、きっかけ(ほめてもらったり)があると、その気になってやりだし、成績が後ろの方だったのにいきなりトップに迫るようなこともたまにはありました。
高校ではほめられることもなかったので、ただ単に卒業しただけでした。
工場へ就職!
物凄く問題児でした。
ただ、有る機械に会いそれに夢中になって自動包装機の佐藤というニックネームを貰ってから仕事に打ち込めるようになりました。
結局、ほめられたかったということですかね?
母親は、割に感情的な人で無学でしたが私を自慢にしてくれていました。それは私にとって良かったことだったんですね。
しかし、勉強のための勉強はできない性格であったことは間違いないことをこの年で確認できました。
好きな先生とかいたらその勉強をしたかもしれないし、
やっぱり中学生、高校生、もしかしたら、大学生になっても自分の好きなこと?夢?なんて分からないことの方が多いと思います。
ということは高卒で一度3年ほど社会へ出てそれから自分の仕事、生き方、などを決めてそのための勉強をする仕組みを作ったら良いと思うし、仕組みが無くても個人でそのようなやり方をしてもOKではないかと思う甲この頃です。
私に愛情をかけてくれるホントの父親がいて、ほめ上手で、好きで、尊敬できる先生がいた場合に最大限伸びたのでは無かろうか?しかし、恵まれすぎると逆に満足して何もしない人間になったのだろうか?
やっぱり分からない。
当時、中学生の頃は身近に女性との接点がなく、なんとなく好きあっていた感じの人とも中学卒業で終わりになりました。
今回中学の同窓会でその人と会いそんな話をしたら相手もまんざらでなかったということでした。
他の同級生からは手をつないで帰っていってたなんてことも言われました。
手をつないで帰っていった記憶は無いのだけれど??
この写真の人がその人です。
あの風呂もよかったな
しかし、現在私は今までの生き方に満足してますし、これからも満足する生き方をしていきます。
今日はこれから家内孝行で福井に行ってきます。温泉のある国民宿舎です。