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2013年4月29日22:48
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勝連城 沖縄・うるま市
勝連城は沖縄中部東海岸の北は金武湾 ・南は中城湾に面した勝連半島(与勝半島)の南の付け根付近にある。
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2013年4月26日20:23
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座喜味城 沖縄_中頭郡
沖縄中部西海岸の名勝:残波岬に近い読谷村の東シナ海を臨むリゾート、某ホテル直ぐ側の教会からは、前方は足下から?見渡す限りの碧い海。前夜からの雨は式・披露宴の後もズッと降り続く。雨でも何処かへ…と御多分に漏れず前日の今帰仁城近…美ら海水族館へ昨日の国道筋を通って行ってみる。 前方に沖縄中部西海岸の砂浜と東シナ海が拡がる某ホテルの挙式場:チャペル さて翌日は昼過ぎに空港で落ち合うまで自由…{%顔文字喜びhdeco%}某ホテルからサトウキビ畑を抜け…最寄りの座喜味城(読谷山城)へ向か...
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2013年4月24日20:42
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今帰仁城 沖縄_国頭郡
夢のよう?{%泣くwebry%} 初めて?近畿圏外の貴重な城廻り経験が出来た!!…が単に遊びで行くわけではない!!…と自由時間が余りとれず・しかも沖縄では珍しい!!?朝から深夜まで降り続く雨の一日を挟さみ、おまけに?車・道路等の交通事情では時間ばかりとられて計画通りには捗らなかったが、疲れ気味の妻君を騙し騙しそれでも…ユネスコ登録の世界遺産「琉球王国のグスク関連9資産」のうち沖縄の城(グ_スク)城5城と首里城公園に入れば自然と目前を通る「園比屋武御嶽石門」を訪れたが、公園内の王陵・近隣の識...
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2013年4月20日21:57
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後谷西砦 丹波市
黒井城主:荻野(赤井)直正【幼名:才丸】は荻野十八人衆と呼ばれた武家集団:荻野氏の本拠朝日城の盟主にと乞われ養子に迎えられた。其の後の勇猛と軍を収束し躍進するリーダーとしての手腕は此処で語る必要もないほどに知られます。 後谷西砦?の連続する古墳墳丘部は切岸のない曲輪状此の才丸こと荻野(赤井)直正の父が後谷城主赤井時家で、其の父:赤井伊賀守忠家が赤井一族の本拠として赤井野に築いた後谷城(後屋城)は現在の白山神社境内に遺る本殿前の空掘と大土塁に囲まれた内部で、車道や(わんぱく?)子供広...
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2013年4月18日22:12
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後谷山城南郭(仮) 丹波市
後谷山城:西尾根曲輪のヒカゲツツジとミツバツツジ?後谷城(後谷館・赤井館・下野城)の”詰め城”として白山山頂部:白山神社跡地が後谷山城の主郭とされている様ですが、黒井城落城により荻野・赤井始め丹波の国人は悉く滅亡・敗走した後:白山城址には文禄元年(1592)白山神社が奉斉されたが、造成に因るものか往時の城遺構は曖昧になっています。 低土塁を廻す後谷山城南曲輪(三角点峰)
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2013年4月17日21:22
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後谷城:二人の赤井忠家
標高僅か95mで日本列島を南北に分ける日本一低い谷中分水界「水分れ」は加古川水系が瀬戸内へ、竹田川の由良川水系は日本海へと流れ出る。山間に挟まれた丹波市付近の流域低地帯を氷上回廊と呼ばれます。春には加古川流域の河口付近から小野市・西脇市を丹波市に入り氷上町から青垣町へ、氷上町から春日・市島町へと続く河川沿いに桜を植樹した花回廊が延々と花のトンネルを形成していきます。 白山を背に赤井伊賀守忠家の墓碑が立つ水分れ公園から西方に開く氷上盆地には南方の高見城から高度を落としながら延...
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2013年4月12日07:36
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新庄城 南丹市
新庄城へは先のブログ船井神社から文覚池に出て、堰堤防を渡った対岸の農作業小屋からの山道を辿ってみた。新庄城主郭から南郭への尾根中間部の堀切のある鞍部を目指す方が良いのかも…? 文覚池付近からの新庄城(主郭)鹿猪除けフエンスを開閉して続く山道は直ぐ落葉で隠れる程に、しかも急登で足を取られ滑る。主郭から船井神社側へ落ちる東尾根側に、土塁が曲輪の南半分を囲む東曲輪に詰め上がる。東尾根先端の緩斜面にも出曲輪がある。東曲輪に戻ると一段高く露岩を抱く大土塁があり、北側を回り込む曲輪先の...
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2013年4月11日20:09
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船井神社・文覚池 南丹市
三俣川を挟んで西田城・刑部城を訪ね車をデポした近く:住吉神社から望む北広瀬城に向かった。更に道なりに進んで同じ筏守山山系?の西北端にある城山(新庄城)へ進むが桂川沿いの西麓からの取付きが判り辛く、山麓を北へ回り込んだ先に船井神社が在って、東隣りの小学校側に駐車場も有り・此処からスタートした。 船井神社(府道408号側から)船井神社の西:府道に落ちる丘陵上が城山で、南方奥には文覚池の堰堤が見えている。城山の姿を映しこんでいるのが文覚池。一帯は弥生・平安・中世にかけての遺跡分散地だ...
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2013年4月9日20:26
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北広瀬城 南丹市
R477号線沿いに西田バス停南側の大日寺から向かった西田城…北へは三俣川を渡った住吉神社側からは多国山の尾根上に展開する?城址遺構が残る刑部(おさべ)城へと、三俣川を挟んで呼応したと思われる古いタイプの山城を廻って住吉神社近くの駐車スペースへ戻ってきた。 三俣川から住吉神社の杜と宮山の北広瀬城を遠望水溜も無いコンクリート川床の三俣川ですが、住吉神社を直ぐ下方に見る川沿いは、200m程だが桜並木とカラー歩道の河川公園。堤防沿い桜並木の先・田圃の中に鎮まる住吉神社の西方に低丘陵・宮山...
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2013年4月8日21:50
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刑部城 南丹市
南丹市のJR山陰本線八木駅からR9号(山陰道)を越え桂川に架かる大堰橋を渡り東へR477号線を進むと京都市右京区嵯峨越…に向かう。八木町・京北町・亀岡市千歳町との境界が入り混む。R477号線が桂川の大堰橋を渡る付近へは、R477号沿いの三俣川を挟んだ南側に西田城・北側には高低差の少ない多国山(東西およそ550m・南北およそ250m程)で稜上は長いテーブル状を呈した独立低丘陵がある。東西に延びる緩斜な丘陵尾根の東端から西端にかけて刑部城の城遺構が点在する?。住吉橋近くからの多国山(最高所...
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2013年4月7日09:21
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西田城 南丹市
篠山市からR372号(京街道)を福住・安口(はだかす)から天引峠を越えれば南丹市に入る。南丹市八木町の多国山(刑部城)周辺の山城を目指すが、東本梅町宮前から府道73号を千代川へ進むコースは既に亀岡市。未だに南丹市と亀岡市の区別!!?・境界がよくわからないが、2006年に船井郡園部町・八木町・日吉町、北桑田郡美山町が合併して誕生したのが南丹市。 西田城:主郭の金毘羅神社と南面の腰曲輪(南丸?・僅かな段差もあるが)京都縦貫自動車道の千代川ICを潜り、JR山陰線を越えR9号線は以前八木...
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2013年4月4日20:30
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後谷山城(仮称) 丹波市
白山(赤城山)山頂には赤井氏の守護神:白山権現を祀る白山神社跡が、石垣・石積・祠の石礎檀や石燈篭を遺して残っている。もと後谷山城の主郭跡と思われ:高城とも上ノ城とも呼ばれ、旧名の赤城山は”赤井氏の城”の意味なのかも!!?。創建時の白山神社は山上から再び現在の白山山麓に遷移されている。赤井氏発祥の地に鎮座する白山神社社殿の建つ位置が後谷城(後屋城)主郭部の後谷館・赤井館で、下ノ城とも呼べる赤井氏の居館。典型的な居館(下ノ城)と詰め城(上ノ城・高城)セットの構成ですが、県遺跡分布図等資料に後谷...
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2013年4月3日20:37
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後谷東砦(仮称) 丹波市
赤井氏発祥の地・赤井野の谷村・新郷には白山(赤城山)山麓に、鎌倉時代・建保3年(1215)井上九郎為家が栗住野城(青垣町)から新郷に移って芦田姓から赤井姓を名乗り、天正7年(1579)丹波攻め:明智光秀の援軍として攻め寄せた丹羽長秀・羽柴秀長の連合軍による攻撃に穂壷城 ・保月城(黒井城)と共に落城するまで、約360年に渉る戦乱期を耐え・生き抜いてきた国人:赤井氏一族の本拠地が在った。 後谷東砦:主郭と帯曲輪為家から9代目の赤井伊賀守忠家から時家・家清・五郎忠家へと4代続いた...
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2013年4月2日20:54
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後谷城(後屋城) 丹波市
R175号線を加古川(旧佐治川)沿いに走る氷上回廊は、今:河川堤防沿いは桜廻廊として淡いピンクの帯びとなって続く。佐野から萱刈坂を越え鴨野(高見城下)から柏原町方面に向かう分岐・稲畑の錦橋交差点付近からは、露岩を魅せる堂々の弘浪山と白山の姿が望めます。左折して錦橋【親柱に描かれているのが稲畑土人形で伏見人形の流れを汲む赤井練人形で知られる】を渡り県道109号に向かう正面の白山山麓付近が赤井野と呼ばれた谷村・後屋・沼貫・新郷等の地に赤井氏が居館後谷城(後屋城)を構えたとされます。 後...
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2013年4月1日20:03
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白山 丹波市
加古川(旧佐治川)沿いR175号線が氷上町佐野(高見城の旧大手)の山裾添い稲畑の錦橋東詰に向かう車窓の左手には、西脇方面から丹波市に入った井原橋から氷上町・青垣町へと続く・加古川沿いの氷上回廊に、花冷えながらも咲き始めた桜並木の長い帯が延びていく。裾模様の淡い帯の上に競り登る二つの瘤を見せてる白山と、其の北先には露岩の山肌を覗かせる弘浪山の姿が低山ながら優美な姿を浮かべている。 氷上廻廊(加古川沿い花廻廊)R175号稲畑:錦橋東詰からの白山 H25/3/30弘浪山は先のブログでも紹...
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2013年3月31日19:30
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高山寺城 丹波市
弘浪山の山頂直下の山腹に、平平宝字元年(757)法道仙人の開基を伝え、仁平3年(1153)源平の兵乱により焼失。平安時代末期:文治5年(1189)源頼朝の命により東大寺の俊乗坊重源上人により再興された古刹高山寺は、源平・南北朝や元亀・天正の兵乱と…・度重なる戦乱の兵火に遭い焼失・再建を繰り返しているが、建保 ・承久年間(1213-21)関東から荻野一族が来住すると、土豪や足利氏との交戦に要害の地にある高山寺は全山が城郭化された高山寺城として度々戦場ともなります。 高山寺跡(仁王門・...
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2013年3月30日19:51
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弘浪山 丹波市
常楽の安全山(丹波の霧海の展望所)山麓の弘浪山高山寺山門に立つと正面に弘浪山を望む。元:此の弘浪山山上に在った高山寺は、奈良時代:天平年代・法道仙人により開基、源平の兵乱に焼失したが鎌倉時代:源頼朝により東大寺の俊乗坊重源上人により再興されました。しかし建保 ・承久年間(1213-21)関東から荻野一族が来住すると、土豪や足利氏との交戦に要害の地にある寺は全山が城郭化された高山寺城は度々戦場ともなり、「太平記」に登場する鎌倉時代の山城でもありました。天正3年光秀軍にも攻められたが寺としても...
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2013年3月28日21:06
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西宮砲台
甲山・北山公園から満池谷、此処から苦楽園口を夙川沿い・両岸の桜堤を進み、阪神香櫨園・R43号線を越えて夙川オアシスロードを南へ進むと夙川河口末端に回生病院がある。野坂昭如氏の小説「火垂るの墓」では空襲で母を亡くした兄妹が疎開した西宮での登場舞台です。 夙川河口と回生病院夙川河口の回生病院から西へは芦屋市境まで砂浜は残るが、東へも雑草と荒れた砂地が拡がるだけの?…の御前浜公園が、嘗ては関西でも代表的な海水浴場の一香櫨園浜で、時代の波はその姿を変え汚染した海水浴場は閉鎖され昭和50年...
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2013年3月27日21:13
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西国街道と西宮神社
西宮神社は全国の戎神社の総本社として古くより崇敬され、室町時代以降:商売繁盛と福の神・えびす信仰は当地が発祥の「夷廻し・夷かき」と呼ばれた傀儡師(人形操り)による、戎・大黒舞や謡曲・狂言等の芸能を通じて全国津々浦々に御神徳が広まった。 西宮神社:大練塀 本殿は”三連春日造り”といわれ本邦唯一の特異な建築構造をもつが、神社境内の東と南に面して総延長247mの長大な築地塀(大練塀)は建立の年代は明確ではないが、昭和25年頃の改修の際・築土から見つかった銅銭から室町時代と推定されてい...
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2013年3月26日19:20
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傀儡師故跡と西宮神社
常盤町から平松町・安井幼稚園東角でJR東海道本線を潜るまんぼうトンネル(水路として利用されていた溝に板を敷いて通路とされている。職場が大阪市内の玉川や西九条に在った時は、阪神電鉄西宮駅へ出ての私の通勤経路。兵庫南部地震前から遺るマンボウを抜け出た所がR2号線産所町交差点。南へ直進する県道193号がR43号(産業道路)と交差する西北側一帯が西宮神社の杜。