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2013年6月8日19:33
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木坂城 綾部市
木坂城へは綾部JCT(舞鶴若狭道・綾部宮津道路)の高架下を抜ける府道485号線を西に向い府道沿いの高柳山慈眼寺(臨済宗)を目標に走る。七百石町大釜田のコミュ二テイセンターに綾部JCT近場の名所?簡略案内図が有って、慈眼寺背後の低丘陵には小規模円墳の七百石中山古墳(完存)と木坂城が載せてある。府道485号線を挟んで慈眼寺の南300m程の独立低丘陵上には、先のブログで紹介した甲山城が在り、主曲輪がヒシロ古墳のマウンドを利用したものと思えたが、古墳についての詳細等は割愛する。 主郭の空...
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2013年6月7日07:49
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甲山城 綾部市
高倉城南山麓の綾部(城山)工業団地を抜ける府道74号線は八田川に架かる岡安橋で、R27号(JR舞鶴線・渕垣駅)から分岐する府道484号線と交差する。交差点から府道74号線側に入る右手・岡安公民館・神社背後の丘上一帯には嘗て西八田城が在った。 甲山城:二段程の広い南曲輪(南端は切岸を落とす)高倉城と共に高城城(八田城)の支城群の一つだったと思えるが、xx工場敷地造成により壊滅(粗消滅)状態。府道484号を直進すると八田川を挟んで姫城と嶋間城の在る嶋萬神社前を通過する。坊主山城と主城...
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2013年6月6日07:31
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高倉城 綾部市
高城城は周辺山麓・丘陵尾根筋に高城城の城砦群を備える程・何鹿郡(綾部市)に大勢力を誇った国人領主:大槻氏のスケールも大きな山城だが、綾部三大山城の一つ高津城(八幡山城)と鴻ヶ嶽城(甲ヶ岳城程には地元でも余り知られていない?。 帯曲輪の切岸と土橋付き堀切:右端に送電線鉄塔展望が余り期待できず急斜面の雑木藪・登路ルートは城跡のある山上へ延びる送電線鉄塔への巡視路任せ?で、現状:登山者も城山を訪れる人も城址への尾根筋や主郭付近に踏み跡も薄い城山ではある。高城城よりは幾分か知名度が高...
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2013年6月4日11:04
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坊主山城 綾部市
高城山山頂(4等三角点 299m)に高城城(八田城)の主郭がある。主郭東尾根側の二重土橋大堀切は当城の最大医見所ですが、北には土橋を渡す塹壕状の空掘、西尾根は西曲輪端の虎口を出て更に西出曲輪部にも堀切で主郭に至る三方尾根を守備している。 坊主山城北端堀切と曲輪切岸主郭の南東尾根は急斜面の尾根筋両脇に大きな竪掘が落ち、鞍部を挟んで南側の平坦地形は舞鶴街道や安国寺町側の監視・見張り所だったのかも・・?主郭からはもう一本・南西尾根が府道484号線側の嶋萬神社付近に其の先端を落とす。...
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2013年6月2日20:48
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高城城 Ⅲ 綾部市
綾部市北部の東八田・西八田・上八田地区は荘園:八田(やだ)郷。室町時代には其の中に本郷<上杉氏領>・上村(七百石町・上八田町<安国寺領>)・高槻保等の分領地があった。高槻保は上杉氏(足利高氏の執事・関東管領で山内家の租)・安国寺領は足利尊氏が南北朝期の初めに元弘の乱(1331ー33)以後に亡くなった戦歿者慰霊供養の為・国ごとに建設した安国寺の筆頭に挙げられ、此の安国寺等の分領地があった。 高城城(八田城):主郭東のの堀切鎌倉時代に既に築かれていたとも云われ...
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2013年5月31日08:08
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高城城Ⅱ 綾部市
綾部市北部のJR舞鶴線とR27号沿い・舞鶴若狭自動車道の綾部ジャンクション周辺の東八田・西八田・上八田地区が荘園:八田(やだ)郷。室町時代には其の中に本郷<上杉氏領>・上村(七百石町・上八田町<安国寺領>)・高槻保等が上杉氏(足利高氏の執事・関東管領で山内家の租)や安国寺等の分領地があった。 高城城(八田城):主郭東切岸下部の二重土橋と大堀切安国寺に近いJR舞鶴線の梅迫駅西麓に丘陵裾を延ばす尾根を辿ると高城山(標高299m)に至る。此の山頂部一帯には南北朝...
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2013年5月29日23:46
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高城城Ⅰ 綾部市
京都府綾部市の綾部三大山城の一つとして高津城(八幡山城)と鴻ヶ嶽城(甲ヶ岳城)が挙げられる様ですが、もう一つは…?何処だろう。綾部市と福知山市の一部は旧何鹿(いかるが)郡に国人領主:大槻氏が勢力を張っています。 府道484号から島萬神社と坊主山城・高城山(高城城)を望む 大槻氏は正慶元年(元弘2年1332)大槻左馬頭(右馬頭)清宗が足利尊氏に従い、何鹿郡・天田郡の地頭として入部し綾部北部の高城山に城を築いたと云われます。綾部北西部には鎌倉時代:上原氏が何鹿郡の地頭として入部し...
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2013年5月25日05:41
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越方城 南丹市
京都府南丹市園部町の大戸城(片山城)から桂川(大堰川)に架かる川辺大橋を渡ると府道25号線に出る。此の府道の南に佐切城(B)が在り、左折して北方へ約700mほど・越方(おちかた)集落に向かう丘陵上に送電線鉄塔の建つ山上部に越方城が在りました。 見張り台?(山上鉄塔付近)から眼下の府道・桂川流域と大戸城(正面)を望む蜷川氏の現地代官:片山氏の大戸城 (片山城)と共に、桂川の通舟と府道25号線沿いに南へは八木町・亀岡市へ、北へは日吉町や船井郡京丹波町へ通じる要衝の街道監視に当たった、...
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2013年5月23日20:24
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佐切城 南丹市
南丹市園部町にある佐切城は京都府の埋蔵文化財分布地図をみると、細ヶ谷を挟んで東には284mピークから西へ桂川(大堰川)沿いの走る府道25号線沿いの尾根筋に佐切城A支群が在る。八木町との町界に位置して字名:城ヶ谷にあり、此方が主城郭だろうか?。 主郭切岸下東西を取巻く帯曲輪佐切城B支群が府道25号線佐切集落内の直ぐ側にあり、府道脇の取付き地点には広い駐車スペースもある。桂川を挟んで西方約7-800m程:武尾神社背後の丘陵上には大戸城(片山城)が在り、訪城の後に佐切城の存在を知...
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2013年5月22日06:52
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諏訪山城 南丹市
今年3月末に南丹市八木町の西田・刑部・北広瀬・新庄の各城跡を訪ねた後、園部町の藁無城にも再訪してきた。以前にレポートはHPにアップ済みだが画像が古いので差替えたが、藁無城では肝心の石積み遺構写真が無く・今回再々訪により先日リニューアル・アップしたが、其の際:府道19号線藁無城への分岐・六蔵前三差路から、諏訪山城の在る丘陵山麓周辺を歩いて・目星を付けたルートで訪城してきた。 二ノ丸!!の一文字土塁諏訪山城へは藁無城登城目標地点の林松寺・治宮神社への府道19号線六蔵前の分岐から府道...
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2013年5月21日10:56
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だいこんの花
一寸 畑に目をやると じゃがいもの花が咲き始めている。余り利用しないネギも大きなネギ坊主が…
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2013年5月20日07:29
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藁無城 南丹市
南丹市の八木から園部へ桂川沿いは先に野条城と畑中城を探索後、府道25号線を北上してJR山陰本線:船岡駅側からJRガードを潜り府道19号線に合流する付近、藁無の集落側に露岩累々の荒々しい山容の、いかにも城山を思わせる山が正面に立ちはだかります。 藁無城主郭南:腰曲輪の石積み城址としてノーマークで未調査・未訪ですが私の近畿の山城(京都丹波)リストに記載の万躰山城(稾無高山城)が此の山上部に在るのかも?。この山に比して、冨士型の優しい山容の山が丘陵西側に見えてきます。この山(点名:松...
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2013年5月17日21:36
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畑中城 南丹市
R9号線の”吉富”交差点を東へ・府道408号が城山新庄城北麓を廻り込み船井神社前を通り、府道25号線の”室橋”で交差する。畑中城へは府道408号を直進する。城山「新庄城」の東山麓に文覚池があり、東南斜向いの丘陵上には野条城が、野条城からは府道408号を挟んだ東北方に畑中城が在りました。 畑中城:北端曲輪のコの字状低土塁?新庄城の東・野条城の東方と北方・畑中城の南に面する舟枝・野条・室橋一帯は圃場整備による遺跡調査により、弥生時代から奈良時代へと古くより利用されてきた土地は平安時代...
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2013年5月16日20:33
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野条城 南丹市
先月(4月)南丹市の新庄城を訪れた際、取付き点の文覚池や船井神社について調べてみて、新庄・室橋・野条一帯が圃場整備による遺跡調査(平成10年?)が実施され、弥生時代の土器や灌漑の為大規模な用水路跡や、奈良時代-平安時代の掘立柱建物跡や柵列・土坑・溝・土師器や須恵器が出土しており、古くより利用されてきた土地。 野条城は地滑り防止工事中の左上部(中央は府道25号)平安時代:承安4年(1174)に成立した後白河院・法華寺領の吉富荘、其の後:後白河院から神護寺に寄進され、神護寺を再興し...
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2013年5月15日08:03
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高峰城(粟賀城) 神崎郡
T氏を生野古城へ案内して朝来市へ向かう途中・多可郡から高坂トンネル越えで神崎郡粟賀へ降りてきた際に指呼した高峰城(粟賀城)へは、生野古城訪城後の帰路に寄ってみた。此処も7-8年ぶりの再訪。
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2013年5月12日22:00
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生野古城Ⅱ 朝来市
生野古城へは8-9年前・登山目的で生野町口銀谷の生野義挙碑の前から寺町の教徳寺の立ち寄りながら”びわの丸公園”から古城山〜太盛山〜釜床山へと縦走したことがある。山城に少し興味をもち始めた頃だったので、登り着いたⅢ郭やⅡ郭は下草藪に覆われ、荒れた曲輪内を足探りで主郭に向かった。それでも気になるⅡ郭西面切岸の下草藪を払い石垣跡を見つけた。 生野古城主郭南面切岸の石積登山口から荒れた登山道は有ったが城や登山で訪れる人は稀だたかも。今回の再訪でも登山者は少ない...
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2013年5月11日22:51
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生野古城Ⅰ 朝来市
但馬:朝来市の生野町は丹波市や北播磨の多可郡・神崎郡との境に位置しており、生野峠(真弓峠)では但馬:山名氏VS播磨・赤松氏による宿命のライバルによる合戦場ともなった。嘉吉の乱(1441年)には峠に布陣した赤松(赤松満祐の弟:義雅)軍を幕府追討軍の山名(宗全)持豊が追い返し、反対に播磨に侵攻した。後:文明15年(1483)赤松政則が但馬へ侵攻の際も山名氏勢に攻められ、赤松軍は敗走・播磨側へ退却します。 生野城Ⅲ郭の虎口を入ったⅡ郭側切岸の石垣跡生野城は生野峠(真弓峠)を越えて侵攻し...
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2013年5月7日09:50
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首里城 沖縄・那覇市
琉球赤瓦屋根・鮮やかに天然の漆が塗られた柱や壁が朱に染まる絢爛豪華な正殿は、日本唯一の朱(あか)い城。沖縄では最大級の木造建築の首里城は、琉球王国の表舞台。 守禮之邦(礼節を重んじる国である)扁額の守礼門
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2013年5月3日10:18
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中城城 沖縄・中頭郡
中城城は沖縄東海岸中部:太平洋を望む東に中城湾 ・東シナ海を望む西に勝連半島や知念半島を見渡す標高167mの石灰岩丘陵の東崖縁を天然の要害として立地している。中城城の創築年代は定かでないが14世紀中庸頃まで先中城按司【城主等資料もなく、此処では護佐丸以前の按司(領主!?)】により基礎が築かれ、中山の尚巴志による三山統一まで続き大手側の主要郭が築かれた。 城壁と石塁の曲線が美しい!!二の曲輪と一の曲輪(主郭)の城壁とアーチ門 勝連城の茂知附安司が勢力を拡大してくると1430年琉...
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2013年5月1日22:35
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チブガー(チブ井泉) 沖縄:大城北中城村
中山に武寧を倒した尚巴志と共に北山の攀安知を倒した忠臣護佐丸盛春、南山には茂知附(もちづき)を倒した阿麻和利により三山統一を成し遂げた中山の尚巴志が実質的な琉球王統(第一尚氏王統・父を王位に就けているが)初代ですが、南山:勝連城の阿麻和利が勢力を持ち半独立を保っていたようですが護佐丸の娘が第一尚氏王統6代泰久の正室に、泰久の長女は阿麻和利の妻に嫁ぎ婚姻関係を結び統一王統の後ろ盾としていた。阿麻和利・護佐丸の乱により泰久の双璧家臣が滅びるが、逆臣:阿麻和利の陰謀か?、琉球王府の泰久等による策...