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2017年1月29日11:25
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野に咲く花のように 三田市
R176号から・または今田町方面からJR相野駅前を県道141号から「溝口交差点」【交差点南西集落に溝口城がある】を右折し県道92号「テクノパーク前(直進約200mで舞鶴若狭自動車道三田西IC)」を県道720号へ左折し、神鉄公園都市線沿いにウッディタウン・フラワータウン側を抜けるのは、神戸三田アウトレットや西宮市内へ向かう通常ルート。
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2017年1月27日09:24
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弓月砦 篠山市
丹波三大山城の一:多紀郡(篠山市)を領した波多野氏の八上城は織田信長の丹波攻略に氷上郡(丹波市)の黒井城(城主:荻野直正)と共に抵抗、丹波攻め総大将:明智光秀による包囲網作戦の長期籠城戦は、三木城の「干し殺し」飢餓作戦に次ぐ悲惨・残酷な戦国悲話で知られます。 弓月神社丹波三大山城ともに山上の本拠城からの派生する丘陵尾根筋・支尾根・枝尾根端や周辺に、防衛の支城砦群を築いています。東北への尾根続き馬駈け場から芥丸、更に長く延びる丘陵尾根先端に弓月砦がある。利用者は極少ないか...
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2017年1月25日23:00
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ラーメン八角 丹波市
ラーメン八角を最初に知ったのはイオン加西北条店オープン間もない頃、1Fのフードコートの西端にあり、裕次郎や吉永小百合…等の手書き映画ポスターが一角を飾るちょっと派手目な外装、内装も昭和のレトロ感覚満載の「うまいもん横丁(お好み焼・広島焼…等の粉もんや!!)」と「ラーメン八角」の店。
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2017年1月21日18:06
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高瀬城 丹波市
JR福知山線谷川駅ホーム北の丘陵上に池ノ谷主計屋敷があり、駅西方約200m程で県道86号に出てJR加古川線・福知山線踏切を渡る西側丘陵上には玉巻城がある。観応1-2年短期ながら守護:山名時氏の丹波守護代となった久下頼直(時重の次男)の本拠城。西山麓の金屋集落内に久下時重屋敷がある。承久の乱後に久下氏が武蔵国より地頭として栗作郷(久下地区)に来住し居館を構えた所。金屋地区から背後の丘陵部を越えれば、久下氏を頼り二度とも丹波へ逃れた足利尊氏や嫡子の義詮が逗留した岩屋の石龕寺に至る。
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2017年1月19日23:01
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Cafe 赤い鳥王子店 小野市
Cafe 赤い鳥は小野市内に何店かのチエーン店があるのかな?。何度か寄った県道18号沿いのごはんや うの花を南へ、市場交差点で直進する県道23号の神鉄市場駅手前にも「赤い鳥」の大きなサインボードを見る。 「ごちそう村」と”Cafe赤い鳥”
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2017年1月18日20:01
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一柳家小野藩関連遺跡?…等
小野市は近世一柳氏が伊予西条5万8600石に加え播磨加東郡(加東市・小野市)に2万8600石の所領を得たが赴任途中で亡くなり、遺領の加東郡小野5000石を分与を受けた次男一柳直家も陣屋を届け出たが許可が降りる前に亡くなり継嗣なく、出石城主小出義親の次男直次を養子に迎え家督を継がせるが認められず、
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2017年1月17日20:14
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王塚古墳 小野市
先のブログで:小野市民会館(コミュニティセンターおの)内のコミュニティレストラン 陣屋に寄っている。此処へは県道23号線「敷地町南」交差点を左折、県道16号の大池総合公園西か、小野市役所前を右折すれば、周辺には小野市役所・商工会館・市伝統産業会館・福祉総合支援センター・等施設が集まる官公庁街。
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2017年1月16日19:45
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長井珈琲倶楽部 小野市
特に播磨地方?では「N&C」のマークや缶が置かれているカフェをよく見掛ける。姫路に本社を置く成田珈琲ですが、HIROコーヒーもCoffee Gallery xxxを謳い、珈琲豆だけでなく関連容器具・雑貨からスイーツ類を揃えて京阪神間に展開されていますね。
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2017年1月15日20:26
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小野藩陣屋 Ⅱ
神戸電鉄小野駅西出口のロータリーから南へは真っ直ぐに緩やかな下り坂が続く。昨年も小野アルプス麓にあるの鴨池畔の一軒家レストランプラートカフェに向かった車道。小野駅西出口から約450m程・神明町途中にカフェ レストランりとるきっちんへも立ち寄った。 陣屋の濠ともなった雁又中ノ池駅前ロータリーの右手(西側)歩道陸橋が小野市立好古館・市立小野小学校への連絡橋。一帯が承応2年(1653)近世陣屋が構築された一柳家小野藩陣屋跡ですが、一柳氏が播磨国加東郡28600石の所領を与えられて...
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2017年1月14日21:32
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コミュニティレストラン 陣屋
先のブログ小野藩陣屋Ⅰ 敷地陣屋へ向かった県道23号線「敷地町南」交差点を左折、県道16号の大池総合公園西か、小野市役所前を右折すれば、周辺には小野市役所・商工会館・市伝統産業会館・福祉総合支援センター・市民会館(コミュニティセンターおの)…等施設が集まる。
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2017年1月13日21:36
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小野藩陣屋 Ⅰ 敷地陣屋
R175号側の「ひまわりの丘公園」の南方「浄谷町中」交差点で右折j県道23号を直進。図書館前・小野警察署前を抜け敷地中交差点からの下り坂下「大部小学校南交差点」で右折する。県道23号は次の信号「王子上満」直ぐ近くにクローバーハウスがある。大部小学校南交差点を北進すると敷地公民館に一柳藩敷地旧陣屋跡石碑が立つ。
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2017年1月12日10:21
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りとるきっちん 小野市
神戸電鉄小野駅の西出口?のロータリーから西南方へ緩やかな下り坂の直線道路は「大島町交差点」で県道349号の合流する。直進する県道349号(県道81号)で加古川を渡り、JR加古川線小野駅手前から来住町へは昨年冬:鴨池畔のプラートカフェに向かった道。
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2017年1月10日20:58
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笹塚古墳 加西
ブログのアップに対するコメントは励みとなり・ブログ発信を続けていく大きな動力源となる。同好の仲間として互いに意志高揚を図る情報・意見交換の場となる筈のコメントが、一方的な強要や悪意に満ちていれば…困ったものです{%困るwebry%}
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2017年1月9日08:14
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滝山城(観瀧寺城)再訪 福知山市
福知山市のHN”べーさん”より観瀧寺跡縄張り図・レポート等報告を受け昨年(2016年)6月に訪れた際の記録は瀧山観瀧寺Ⅰ鉦鼓滝に、観瀧寺開基の法道仙人と、此の瀧山の峰に「鉦鼓」の音を聞き谷にわけ入り、白滝を掛ける不動尊を祀る鉦鼓滝と、滝の上方に旧観瀧寺跡がある事を記した。 櫓台に達する高い土塁道は左手曲輪の防風対策を兼ねたもの?瀧山観瀧寺Ⅱ 観瀧寺廃寺では平安時代:伊勢平氏・平維衛(これひら)を祖とする平親盛が長治元年(1104)奥榎原に逃れ、此処に城を築き此の地を開拓した平家落人...
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2017年1月7日20:51
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ろまんす亭 加西
西脇市から野間川沿い県道34号、水尾城北山麓を抜け多可郡八千代区からの県道24号に入り、別所北交差点を直進して県道369号で加西市に向かういつものコース。中国自動車道を潜り「古坂交差点」を左折して直進気味に進むと笹塚古墳が見えてくるので分かり易い!!?が…、県道24号一本で「玉丘町」側からでも行けるが…
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2017年1月6日21:00
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滝山城(観瀧寺城)にて 福知山市
滝山城は旧瀧山観瀧寺跡に隣接して其の脇に築かれたという。旧観瀧寺の寺域内にあって、一時期には寺院僧堂群を城砦化して臨戦的に使用された城遺構と考えています。 【添付画像は旧観瀧寺・滝山城縄張り内の自然木樹形】 人面木!!福知山市史等に観瀧寺跡についての記述はあるが、滝山城については未認知ながら未掲載?。市の遺跡地図にも跡地一帯に寺院・城址遺構が無記載の空白地帯です。丹波市境界尾根上の親不知から北へ延び出す尾根上にある不自然な平坦尾根部については、
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2017年1月5日20:15
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御節供料理(Paper Craft)
正月三ヶ日も過ぎると、急速に平常の生活を取り戻します。お正月にメイン料理として詰められていた”おせち”の残りなども?既に重箱の隅にさえ残っていないのかも。追膳するにも時期を逸してしまったが、無料DLサイトからの御節供料理(Paper Craft) を作っていたので…{%恥ずかしい…(アセアセ)hdeco%}元々は四季折々の節会・節句に作られていた行事食の”御節供(おせちく or おせつく)料理”ですが、節日のうち最も重要な「正月料理」を指して「おせちく→おせち」と呼ばれるようです。...
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2017年1月4日20:54
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蟠龍庵 篠山市
先のブログ飛の山城(岡谷城)からの大手道?を妙見堂を経て下ると「東岡屋交差点」近くに降りてくるが、妙見堂からの分岐を富山弁財天へ降りてくると目前が「東岡屋交差点」。西町・魚屋町・二階町へと市街地に向かう権現山南山麓から総合庁舎・篠山警察署方面の郡家交差点(県道301)側へ左折すると、富山保育園・蟠龍庵前、駐車場の車道側に青山氏の「無紋銭」弘化4年(1847)の銘から5代目青山下野守忠良による改修時の鬼瓦が残されている。 富山弁財天むかし?のブログで蟠龍庵のセンダンを紹介していま...
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2017年1月3日20:13
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謹賀新年 宝船(Paper Craft)
宝船(Paper Craft):『なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな』とは、和歌の一首。この歌は最初から読んでも逆から読んでも同じ音になる回文歌で、室町時代の頃から、「初夢」文化のひとつとして日本で行われた風習に用いられた。
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2017年1月2日20:23
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飛の山城 篠山市
篠山川に流れ出る藤岡川を挟んでは、篠山川右岸:藤岡川の東に笹山(篠山城)、西に権現山があり、権現山の南西山麓部は篠山川沿い北側からは県道77号が、篠山川南側からは県道36号が合流する「東岡屋交差点」で山陰道・京街道・播磨・摂津に通じる街道が交差sる要衝に位置する。権現山は”飛の山・富の山”とも呼ばれた。「富の山とは正月から縁起がいいですね!!{%顔文字喜びhdeco%}」。山上部に飛の山城(富の山城・東岡屋城・岡谷城とも呼ばれた)があった。飛の山…と呼ばれるのも富の山の語彙からか。酉年の今...