先日、干支の山、猿藪に登ったが、やまあそさんから「加西にも干支の山がある。」という情報を得た。
そのうち行ってみたいと思っていたら、やまあそさんから「行ってみよか」とお誘いが・・・。
作畑ガールも同行とのこと。
やまあそさんが指定した登山口に近い墓地の駐車場が集合場所である。
鎌倉山に登るときによく走る道をさらに西に進むと目的地があった。
やまあそさんが12年前に歩いたときは藪山だったというが、今回はどうだろうか?
山裾に沿った村の中の道を歩くと、「石部(いそべ)・庚申の杜 兵庫県天然記念物 殿原のイチョウ」という標識が立っている。
「石部」と書いて「いそべ」と読むのは、我が家の氏神神社のいそ(山へんに石)部神社と同じである。
急な参道を登っていくと、急な階段の先に庚申堂が見える。
天然記念物の大イチョウはお葉つきイチョウとある。
左のおこもり堂は、長い間使用されていないようだ。
説明板には・・・
江戸時代に書かれた「播磨鏡」によると、「庚申堂」は10世紀中頃、「古今集」の撰者の一人として有名な紀貫之によって建立されたといわれています。
天正年間(16世紀後半)に建物の全てが焼失しましたが、寛文年間(17世紀後半)に殿原村の青山正俊によって一棟が再建されました。とある。
青面山清水寺というお寺だそうで、3月の第2日曜に、庚申祭が行われるようである。
庚申堂の裏には、小さな滝(細いパイプからの)と不動明王もある。
少し離れたところには住職のお墓があるので、無住でない時期もあったのだろう。
庚申堂を中心に、遊歩道が整備されている。
やまあそさんの12年前のレポートでは、遊歩道を作る計画がある、と書いてあるので、それ以後に作られた道である。
いきものふれあい広場がいちばん高いところで、そこから遊歩道を離れて庚申山へ登る。
少し藪っぽいところを抜けると庚申山(Ca220m)である。
北に、木々の間から笠形山がのぞいている。
少し西に歩くと三角点のピーク(四等三角点 谷合222.65m) に出る。
あたりには、瓶子のかけらがあり、やまあそさんはここで何か祭事を行っていたのではないかという。
三角点ピークから尾根を西に歩く。
やまあそさんが案じていたようなことはなく、藪っぽいところはあるものの歩くのにはあまり支障がない。
ゆるやかに登り返すと、アメマキの多いピーク(236m)に出る。
落ち葉ふかふかで雰囲気のいいピークだ。
これから向かう天雲山も見える。
足元を見ると、紫がかった土。
朽ちた落ち葉の色だろうか、それともそういう地質なのだろうか・・・。
さらに尾根を西に歩く。
行く手にピンク色が!、と思ったら、コバノミツバツツジが満開!
暖かい冬に季節を勘違いしたのだろう。
この数日後には寒波がやってきたので、ツツジたちはどうしただろ
やまあそさんは、
「すごく歩きやすくなっている。」と、何度もつぶやく。
途中で南へ下る道もある。
地図の破線の道だ。
さらに西に進み、登り返したところがこのコースの最高所(三等三角点 点名大内 301.16m)である.
このピークから北東の尾根を歩く。
両側が灌木のよい道が続く。
アンテナのピークが近くなってきた。
尾根を下り、少し登り返したところに文字の消えた標識がある。
西へ下りる道の標識のようだ。
登り返して少し歩くと、天雲山(てんぐんざん)である。
北に、笠形山や千ヶ峰。
北東に、鎌倉山。
南東に先ほど歩いてきた庚申山などが見える。
かすかに明石海峡大橋も確認できる。
ぜんざいを食べて、下山にかかる。
天雲山から北は遊歩道が整備されていて、天雲山から一段低いところがアンテナのあるピークである。
アンテナからの下りはざれた急な道。
滑らないようにおりていく。
鹿柵を開けて出ていくと、その下に神社が見える。
若一五社神社というお宮さんである。
本殿には立派な彫刻があるが、だれの彫刻だろうか。
五社神社のすぐしたに天雲山遊歩道入り口の標柱が立っているので、そこから登れるようだ。
村の人と話したり、景色を見たりしながら駐車地へ歩く。
先ほどまでいた天雲山や歩いた尾根が長く続いている。
田んぼの中にポニーが飼ってあったり・・・
道沿いのお家に楽しい置物がおいてあったり。
駐車地に戻り、二人と別れて帰路につく。
少し手入れすれば、いい散策路になるコースであるが、今のままの少し藪っぽい山でもいいな。
やまあそさん、案内ありがとう(^^)/