石垣の間に残る石段を上ると長い平坦地が現れる。
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何に使ったのか四角く削った石。
そして・・・
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石仏!
お地蔵さまが谷を向いて立っている。
他のものは村におろされたのに、一人さびしくたっている。
「これは重いからおろせなかったんやなあ。」
やまあそさんは早速丁寧に調べている。
享保三年の銘がある。
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石仏の向うにはさらに広いところが見える。
勇んで行ってみると、大きな岩窟。
中に何かないかと覗いてみたが、
「コウモリの糞が落ちてるわ。」
氷上郡誌には、
「
岩屋山の中腹にあり、元弘建武の頃、僧雲曉の開く所なり、観音堂あり、馬頭観音、毘沙門天、開山雲曉木造を安置す、之を東堂と稱す、その西に不動堂あり、不動明王、金剛童子、勢以多賀童子を祀る、以上を合して六所権現と稱す、堂後より清水湧出す、旱天の節、村民の雨乞をなす處なり、・・・中略・・・其の途甚だ急にして恰も絶壁を攀ずるが如し、周囲一尺八寸の大杉、あり古来岩屋村に対して西岩屋と稱し、善男善女の帰依浅からざりしといふ。」とある。
つまり、この岩窟が岩屋と呼ばれ、岩屋山の名称もここから来ているのかもしれない。
昔は清水が湧き出ていたのだ。
また、お堂が西と東にあり、そこには数体の像が!
それらはここに残るお地蔵さまを残し、登る前に見た神社の中にあるのだ。
やまあそさんは岩屋の上の方を見上げ、
「あそこにも何かありそうな気がする。」としきりに気にしている。
杉林の中にひっそりと残る寺跡。
先日から登山者が二組やってきて
「えらいにぎやかやなあ。」とお地蔵さまは苦笑しているかも。
もう一度、石仏を調べるやまあそさん。
彼のさらに詳しいレポートに期待したい。
寺跡から東の尾根に薄い踏み跡があるので、それを辿り尾根に出る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
続きます(^^)/