慶佐次盛一さんの「兵庫丹波の山 上」で、篠が峰から岩屋山へ歩かれた時のレポートに、
この山(岩屋山)の東山腹に。岩屋山清水寺があったと言う。東の岩屋山石龕寺に対して西の岩屋山と呼ばれたそうだから、かなりの規模の寺院と思われるが私はまだ訪ねていない。と書いておられる。
西の岩屋山のことを心の端に置いていたのだが、いつの間にか忘れていた。
最近、この山へ登った方がお寺の跡があったとやまあそさんに報告。
一気に岩屋山への関心が高まる。
やまあそさんと山南町五ケ野で落ち合い、この寺跡を訪ねることになった。
五ケ野の最奥の民家の近くでやまあそ車を待つ。
やまあそさんは到着すると、そばの作業小屋で仕事中の男性に寺跡のことを尋ねる。
谷の奥に清水寺というお寺があり、50余年前に村に下ろされ、今我々がいるすぐ近くに安置されてること、年に一回7月に延命寺のご住職が護摩焚法要を行なっておられることなどを話してくださる。
歴史探訪の会を作り、2、3度は寺跡に行ったと話されていたが、今は石でガラガラで道もわかりにくくなっているようである。
やまあそ車を下山地近くの牧山神社の駐車場に停めさせてもらい、私の車を先ほどの作業小屋のところに置かせてもらう。
田んぼ道を少し歩くと、3棟のお社がある。
地元では岩屋神社と呼ばれているらしい。
この建物の中にお寺から下ろされた石仏?があるのだ!
「見たいなあ。」
やまあそさんは何度もつぶやく。
小さな穴から覗くと、中に祠が安置されている。
この建物は山から下ろされたものなのだろうか。
傍らに50年を記念して植えられた桜の木。
平成19年なので、56年前にここに下ろされたようだ。
この小さな石仏も山から下ろされたものなのだろうか!
地図では破線の道が谷に続いている。
その道を歩くようだ。
鹿柵の扉を開けて林道を歩く。
しばらく歩くと、石の道標。
右 いわや が読み取れる。
左は今は林道になっているが、昔は小径があったのだろう。
「いわや」まで十八丁とある。
掘れた道と林道が並んでいる。
「こっちがお寺への道や。」
赤いテープを巻いた丁石が転ぶ道の先は倒木。
道に沿って歩きやすい所を登っていく。
谷の傾斜がきつくなるにつれ、石がゴロゴロし道が判然としなくなる。
丁石も崩れてきた石の下に埋まっているのであろう。
全部は残っていないが、十三丁、四丁と出てくると、ここが参道なんだとうれしくなる。
石だらけの谷を歩きやすいところを選んで歩いていく。
しかし、この先にどんなものが待っているのかと思うと荒れた道もそれほど苦にならない。
地形図では道は谷を直進しているが、往時はジグザグに登っていたのだろう。
道の石垣も残っている。
神社から50分余りで、立派な石垣が目に入る。
「きれいな石垣や!」
「広いところがあるわ!」
とやまあそさんのテンションは最高潮!
さて、ここにはどんなものが待っているのだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・
続きます(^^)/